将来は現在の延長線上にない時代

 現在、物理学者の江崎玲於奈氏が日本経済新聞に私の履歴書を書いる。

平成19年1月15日付で、1947年当時、トランジスタに関して次のようなこと書いている。

                

「トランジスタはその革新性と影響力において20世紀最大の発明といっても過言ではない。これを通じて、私が学んだことは、真空管をいくら研究しても、改良してもトランジスタは生まれてこないということ。

             

 すなわち、われわれはともすれば、殊に安定した社会では、将来を現在の延長線上で捉えがちになる。

                     

 しかし、変革の時代には、今までにない革新的なものが誕生し、将来は創られるといえるのである。」

              

 終戦後間もない1947年は、まさに、変革の時代だった。2007年の現在も、それに劣らない変革の時代ではないだろうか。

           

 金融ビッグバンがあり、会計ビッグバンがあり、現在は、法律ビッグバンが始まっている。ビッグバンという文字通り、とてつもなく大きな変化が現在進行中だからである。こういう変革の時代には、従来の常識が通用しない。

         

 従来の常識を新しい常識が覆していく。そのような時代に適応すべき会社では、従来の常識を見直す必要がある。あるものは残し、あるものは修正し、あるものは捨て去る。そういうことが重要である。

             

 つまり、従来の常識の延長線上で考え、行動することは変革の時代に適応障害を起こすことになりかねない。会社の成長が止まるということである。

             

 会社は、その会社の社会的価値の認識の下で、存続・成長する必要がある。そのためには、社会的価値を生かすために、社会の要求に適応する必要があり、社会の変化に応じて自らを変化させる必要がある。

                 

 これが会社における適者生存の法則である。この適者生存の法則が働く以上は、会社は変革の時代に社会に適応するには、大きく変化する社会の変化に対応することが必要であり、従来の延長線上という発想は危険である。

                         

 このようは変革の時代について、経営、法務、税務等社会性のある事柄について、毎週1回ぐらいの割りで、考えたこと、思いついたことを書いていくことにしたい。

そこで、鳥飼Weeklyというブログを書くことにした。

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命令に背かれたとき、社長は責任を負うのか

経営者が真剣に遵法精神を強調する。

それでも、部下がそれを無視することはある。

この場合に、経営者は法的責任を負うのか。

                

このような問題が、大手ゼネコンで問題になりそうだ。

名古屋の地下鉄工事をめぐる談合事件に関してである。

この談合事件では、独禁法違反が問題になりそうだ。

そうなると、ゼネコンは巨額の罰金、課徴金を科される。

             

その他にも、名古屋市から違約金を請求されるようだ。

そうなると、ゼネコンは大きな損害を蒙る。

損害賠償を談合の決別宣言をした社長に請求できるか。

最近話題の経営者による内部統制の問題である。

                      

経営者は従業員に法令遵守させる体制を築く義務がある。

その義務を内部統制システム構築義務という。

この義務違反があったと認められるか、の問題である。

                  

大手ゼネコン4社の社長は談合との決別宣言した。

2005年の12月のことである。

これは新聞でも報道された。

               

社長は、徹底した法令遵守を命令したはずである。

社長は、法令遵守を宣言し、その徹底を図る。

そうすれば、通常は、従業員は、社長の命令に従う。

そう考えるのが通常であろう。

                

社長の命令よりも、談合組織に忠誠心を持つ者がいる。

社長がそのことを知りえたのであれば、責任が生じる。

知りえたのならば、その者の担当替えをすべきだからだ。

そうすれば、社長の命令に反する談合は行われない。

                      

社長が知りえない場合に、社長に責任が生じるかだ。

従来であれば、社長が知りえないなら、責任を生じない。

そのように考えるのが通常であった。

「知らない」は社長が責任を負わない理由となった。

             

ところが、内部統制の問題となると、従来と同じとは限らない。

社長の命令の無視は、内部統制体制の不備だとなるからだ。

社長が法令遵守のため、やれることをやったかが問われる。

やれることをやったのに、責任を問うのは無理だからだ。

              

したがって、本件では、社長はどこまでやるべきだったか。

その程度・内容が問題となろう。

談合をしないように本気で命令を出したので足りるか。

さらに、談合の担当者の総入れ替えをすべきだったか。

                    

社長が談合と決別宣言する。

その宣言が本気であることを従業員に徹底する。

とくに、売上を捨てても、談合はするなと言い続ける。

そうであれば、通常、従業員は社長の命令に従う。

             

これが日本の企業社会であると考えるのが通常だ。

社長命令に背いて、違法な談合組織に忠誠を誓う。

社会通常の基準たる法律は、ここまでの想定を求めない。

特段の事情がなければ、私はそのように考える。

                 

結果から言えば、談合の担当者は入れ替えるべきだった。

それは、この事件の発覚で初めて言えることである。

今後は、談合の担当者は入れ替えるべきだ。

社会は、この事件でそのことを学んだからである。

                     

内部統制は「知らない」という言い逃れを否定しがちだ。

しかし、見識のある経営者を基準にしてはならない。

見識まではない普通の経営者を基準とすべきだ。

そして、普通の経営者に期待できることに限定すべきだ。

                     

そうでないと、経営者のなり手がなくなる。

見識のある者はもともと稀な存在だからである。

内部統制問題で経営者の責任をどう考えるのか。

ここに新しい常識を作らなければならない。

                        

社長として社会的に当たり前のことをやること。

そうすれば、社長としての責任は生じない。

それ以上のことまでは、法律では求めない。

それ以上のことは、株主・投資家が求めればよい。

                  

法律の規律と資本市場の規律におけるバランス感覚。

そのぐらいがちょうどよいのではないだろうか。

法律の規律を過剰にするのは自由な社会とは言いがたい。

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企業の原点・・・宇宙からの発信

宇宙飛行士は素晴らしいことを言うな。

正直なところ、そう思った。

日経ビジネス1月15日号の記事を読んだ感想である。

宇宙飛行士は毛利衛氏である。

               

2回目のスペースシャトル搭乗の時のことである。

地球を眺めていていて、実感したそうである。

              

「人間のあらゆる営みは、

人間が生き延び、

そして豊かになるためにある。」

                

その理由を次のように述べておられる。

             

「地球の外から地球を見ていると、

人間がいようといまいと地球は存在し続けている、

ということが実感させられるのです。 

                                               

だからこそ人間は生き延びるために、

あらゆる知恵を絞ってきたのでしょう」

              

この点は、ビジネスも同じだと、毛利氏は言います。

「人間の生き延びたい、健康になりたいという欲求・・・

に強く応えられるものほどビジネスとして価値を持ち、

受け入れられていくのではないでしょうか。」

                  

企業の全活動を宇宙から眺めた人の発言は重い。

まさに、全世界の企業活動を鳥瞰した発言である。

毛利氏の発言は、企業の原点を教えている。

                    

わが社が存在しなくても、社会は存在し続ける。

だからこそ、わが社が生き延びるために、

つまり、わが社の存続をかけて、

あらゆる知恵を絞るらなければならない。

                     

そのために、社会に価値がある会社だと認めてもらう、

社会に必要な会社だと、認知して貰うことが必要である。

わが社が存在し、存続することは当たり前でない。

そのことの認識から会社の理解は始まるのである。

               

それは、まさに、企業の原点である。

この企業の原点が分かれば、企業の向かう方向性は明確だ。

社会が必要としている価値を見出し、それを提供することだ。

ブランドは、存在価値が高い会社であることの証明である。

                    

不祥事は、存在する価値のない会社であることの証明だ。

不祥事は、社会に迷惑をかけることだからである。

その意味では、法令遵守は、会社の存続の基盤である。

倫理感を持たない者は、会社にとって危険人物である。

                

資本主義に倫理が必要なのも理解できる。

資本主義に倫理がなければ、それは存在価値を失うからだ。

倫理は、会社が社会に存続する最低の価値観なのである。

毛利氏が教えてくれたのは、そのことである。

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内部統制の主役は経営者

現在、内部統制という言葉がはやり言葉になっている。

経営者は会社の企業価値を向上させる役割を担う。

そのため、経営者は会社全体に対し経営管理をする。

これが内部統制であるが、当たり前のことを内容とする。

                    

そうであれば、内部統制で騒ぐことはない。

問題なのは、米国でエンロン事件等があった。

日本でも、西武鉄道事件等があったことだ。

いずれも、経営者が不祥事に手を染めたことだ。

                

経営者がその役割を放棄している現実を知った。

これでは、経営管理はないに等しいことになる。

そのため、まっとうな経営管理の必要性を認識した。

そこで、内部統制という当たり前のことが注目を集めた。

                          

ここでの内部統制は、まともでない経営者を想定する。

経営者を他の者が監視する体制を重視する。

とくに、経営者からの影響を受けない外部者を重視する。

社外監査役、社外取締役、会計監査人等である。

                  

このような外部者重視の法律ができた。

そのことで、経営者は外部者に気をとられ主体性を失う。

経営者は自分が経営の主役であることを忘れる。

これでは、内部統制の本質を失いかねない。

                        

ところが、実際には、まともな経営者も少なくない。

このような経営者の下では、経営管理はしっかりしている。

外部者を重視する内部統制と大騒ぎするのはおかしい。

                    

しかし、まともでない経営者用の法律の規律が成立した。

法律なので、まともな経営者のいる会社にも適用がある。

ある意味では、まともな経営をする会社はいい迷惑だ。

           

そうはいっても、法律であるから、それに従う必要がある。

従う以上、前向きに捉えることに越したことはない。

内部統制は経営者にとっての原点である。

企業価値を高めるために全社一丸となることだからだ。

                    

なぜ、企業価値を高める必要があるのか。

この会社の存在意義を明確にすることだ。

会社は企業市民として認められることが必要だ。

                      

企業価値を高めるには、社会の支持が必要である。

会社が社会的価値があると社会的信頼が重要だ。

そのような支持・信頼に向けて全社を動かす。                 

そのことこそが経営者の役割である。

                  

この経営者の原点を自覚し、会社全体を纏め上げる。

ある意味では、法律によって奪われた主体性を取り戻す。

それが本当の経営者による内部統制なのではないのか。

                         

内部統制で最も大切なのは、経営者である。

経営者が社会から信頼される存在になることである。

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創業者は泣いている

パロマ、不二家、リンナイ。

同族会社が社会的指弾を受けている。

とくに、パロマ、リンナイでは、死者が出ている。

その死者は、パロマ、リンナイの顧客でもある。

                                

会社の事故情報の公表が早ければ、死者が減っていた。

その可能性が指摘されている。

そうであるのに、なぜ、顧客に死者を出したのか。

                

リンナイには立派な社是がある。

「和 人間性豊かな人格をつくろう

 気 哲学を持って志を立てよう

 眞 基本を学び科学的に考へよう」

                    

リンナイには立派な企業使命観がある。

「リンナイは、『熱』を通じて『快適な暮らし』を

社会に提供します。」

       

リンナイには、創業者が制定した立派な社是がある。

立派な企業の使命観がある。

社是・企業の使命観によれば、顧客の死は認めていない。

           

使い方が悪くて死者が出ているなら、注意を喚起せよ。

誰が読んでも、社是・企業の使命観から、そう読める。

自社の製品から死者が出ているのであるから。

使い方が悪いと、同じような死者が出る可能性がある。

                    

他の顧客も危ない、それを知らせるのが豊かな人間性。

知らせてこそ、『快適な暮らし』の提供となるはず。

創業者は、きっと、泣いている。

創業の精神を忘れたのか、と。

                

パロマの企業理念は分からない。

パロマのホームページに出ていないからである。

しかし、ホームページの会社案内に概要がある。

そこに、パロマの精神が出ていた。

              

「ひとにやさしい“あんしん”技術 

 それはパロマの責任です。」

    

この精神からは、パロマの対応は理解できない。

「ひと」は顧客を指すから、顧客重視が分かる。

「あんしん」は顧客の安全を優先的に考えている。

「パロマの責任」は顧客の安全に対するものである。

                  

顧客に死者が出たら、次の死者は出さない。

それが「パロマの責任」と考えるのが自然である。

その責任を放棄し、多くの死者を出した。

創業者は、きっと、泣いている。

         

後継者は創業者と血がつながっている。

しかし、創業者の精神は受け継いでいない。

これを事業承継とは言わない。

創業者の精神は企業の存在基盤である。

       

その精神は企業経営の中核である。

その創業の精神を受け継いでこそ事業承継がある。

血がつながっていなくても事業承継はできる。

リンナイ、パロマには、事業承継がなかったに等しい。

             

不二家にも、立派な社是がある。

「愛と誠心と感謝をこめてお客様に愛される

不二家になりましょう。」

         

この社是はいつからか経営陣・従業員に忘れられた。

そのことから、期限切れの商品販売が行われた。

立派な社是を忘れたときに、不二家の衰退が始まった。

           

社是、経営理念等は、どの上場企業でももっている。

それは創業の精神であり、当該企業の守り神である。

その守り神を大切にしないで、企業の繁栄はない。

これは、人間の組織である会社の原理原則である。

                               

企業の成長は構成員の志という精神に基づく。

企業の経営者・従業員の志を示すのが創業の精神。

その精神を時代・状況を踏まえて実現する。

そこに、企業の永続的な成長がある。

             

最近の不祥事を眺めれば、創業の精神の無視がある。

皆、創業者を泣かせているのである。

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不二家事件は不祥事か?

不二家へのバッシングは行き過ぎだ。

そういう意見がある。

従来の経営常識からすれば、そうかもしれない。

                

法令違反もなく、食中毒等の被害もないという。

このようなことを、従来は不祥事とは呼ばない。

不祥事とは、会社、経営者が責任を負う場合だから。

とくに、法律的責任が生じる場合が想定されていた。

                    

そのため、不祥事防止の合言葉が法令遵守である。

つまり、コンプライアンス=法令遵守だった。

そのため、企業では、法令を守っていればよい。

そういう意識が常識となりがちだ。

                

この常識からすれば、今回の不二家に不祥事はない。

ところが、マスコミの非難報道の結果がトップの辞任。

それにとどまらず、他の企業の力を借りる羽目になった。

そのため、従来の常識からは、行き過ぎとの批判となる。

                     

コンプライアンス=法令遵守という考えに疑問がある。

従来の法令遵守発想は、会社の内向き発想となる。

法的責任の有無が中核の発想だからである。

その点について、CSRの観点からは疑問が生じる。

                 

内向き発想であると、社会的責任を忘れがちになる。

会社の存続・発展の基礎は、社会の支持にある。

それを法令遵守は忘れがちになる欠点がある。

                     

不二家の問題は、社会の支持を忘れている点にある。

その点を検証しよう。

消費期限を徒過した食品を社会がどう見ているか。

                                          

ある調査では、消費期限を見る消費者が7割いる。                     

消費期限後の食品を食べない者は、約2割いる。

消費期限は社会的に無視できない要素である。

                  

消費期限を守るのが会社が支持を受ける基盤となる。

消費者は、消費期限を守っていると信頼している。

消費期限後の原料を使うことは、社会への裏切り。

そう捉えられても仕方がない。

                    

社会の支持を得るには、社会の信頼を守ることだ。

その信頼を裏切る会社は、社会には不要である。

そうならないためには、法令遵守では十分でない。

法令「等」として社会常識の遵守も必要である。

                  

社会的責任を自覚するためのCSRが重視される。

ここでは、不祥事の定義が拡大する。

コンプライアンス=法令等遵守となるのである。

                      

不二家は、法令「等」の「等」に違反したのである。

これはコンプライアンス違反であり、不祥事である。

その意味では、マスコミに批判されるのはやむをえない。

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株主総会で革命が始まった

株主総会が大きく変わり始めた。

その象徴が平成19年2月22日の東京鋼鉄の株主総会。

会社提案にかかる大阪製鉄との統合議案の否決である。

友好的M&Aが総会で否決される時代が到来した。

                            

経営者が決めた事業再編が阻止されたのである。

会社法は経営者の自由を拡大したはずである。

総会で経営者は、その自由を制約をされた。

経営の自由は従来と異なり、規律つきである。

                       

経営の自由を活用するには規律を乗り越える必要がある。

安定株主を基盤にすることも、一つの方法である。

そうでない場合には、株主の支持を得る必要がある。

経営の自由は株主の支持の基盤の上に成り立つ。

                 

これは、会社法上、当たり前のことである。

この当たり前のことが、今後の経営のあり方である。

これが法化社会における新しい現実である。

会社経営が会社法等の法律の規律を受けることになる。

                     

法律はあったが、それを無視できる時代は終わった。

それは、株主が権利のための闘争を始めたからである。

株主が会社法上の権利に目覚め、それを使い始めたのだ。

株主が権利を正当に行使すれば、それは実現される。

                  

法律上、当たり前のことが当たり前のように現実となる。

ある意味では、株主の権利は休火山状態だった。

そのため、経営者は株主の権利を考えないで経営できた。

経営者は株主を無視してやりたい放題やれたのである。

                     

そのやりたい放題の典型が株主総会であった。

経営者が議案を決めるときは、経営の都合だけ考えた。

そのような会社提案議案は、総会前に決まったも同然。

総会は、会社提案議案を通過させる儀式にしか過ぎない。

                     

株主総会は、実質的経営にとって、考慮対象になかった。

問題のない会社では、株主総会は経営課題ではなかった。

株主の権利の闘争が始まれば、総会は経営課題となる。

総会で株主の支持を受けないと経営の自由がなくなる。

                          

物を言う株主は権利の闘争者であると捉えるべきである。

権利の闘争はフランス革命、アメリカの独立を生んだ。

株主の権利のための闘争は経営に革命をもたらす。

これが新しい時代の潮流を生み出す。

                

経営者はこの時代の趨勢を理解しなければならない。

司法改革が行われているが、その本質を理解すべきだ。

それは、法の支配の実現を目指すものである。

その本質は、権利のための闘争を支援するものである。

                 

今後の社会は、法律がそのまま実現する社会である。

つまり、権利を実現するための司法改革が進んでいる。

権利のために戦うことを裁判所が支援する時代に入る。

株主が正当に権利を主張すれば、それは通ることになる。

                       

敵対的買収防衛策に対する株主の提訴を裁判所は支持した。

裁判所は、従来のように会社側を支持する姿勢を転換した。

株主の権利のための闘争を支持し始めた。

これを理解すれば、株主総会は全面的に見直しが必要だ。

                      

まともな株主は決議取消訴訟を提訴しない。

そんな常識は通らない時代が来たのである。

説明義務も会社側に都合の良い基準は維持できない。

株主の権利の闘争に備え、法律面の整備をすべきである。

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堀江被告への判決に思う

ライブドアの堀江貴文前社長に、実刑判決が言い渡された。

懲役2年6月である。

検察は、懲役4年の求刑をしていた。

懲役4年では執行猶予はつかないので、実刑を求めていた。

                     

資本市場に関連する証券取引法違反事件だった。

従来の量刑相場では、執行猶予でもおかしくなかった。

上場企業の経営者が有罪の場合には、執行猶予。

それが従来の常識だった。

               

しかし、最近の札幌高裁の判決で経営者の実刑判決。

これは、元北海道拓殖銀行の元頭取に対するものだ。

都市銀行の頭取が実刑判決であるのは、時代の流れ。

そう考えるほかない。

               

経営の自由が拡大すると、反面、法律の規律が厳しくなる。

厳しくなるのは、刑罰法規の法定刑だけではない。

刑罰の言い渡しという運用面でも厳しさが出てくる。

裁判官が社会意識に押されて厳しい判決を書くのである。

              

社会意識が裁判官意識を変える構造は、刑事に限らない。

民事事件でも同様に、社会の意識が裁判官意識を変える。

つまり、経営者に対する法的責任は運用上、厳しくなる。

会社に対する法的責任の追及も厳しくなる可能性がある。

                     

従来の裁判官は、経営者・会社に対して理解を示してきた。

今後の裁判官は、社会意識に対する理解度を高めていく。

今後は、裁判官は、経営者・会社に対して厳しくなる。

今後、経営者・会社は法的ガードを固めるべきだ。

                 

堀江被告に対する実刑判決の時代背景。

それを考えることが会社関係者には重要である。                  

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経営への圧力と会社情報の捉え方

ライブドア事件で、宮内亮治被告に対しても、実刑判決。

ライブドアの監査を担当した公認会計士にも、実刑判決。

この事件では、堀江被告を含めて、3人に実刑判決である。

                       

監査を担当した公認会計士の実刑判決は影響が大きい。

司法が資本市場における監査の重要性を認めたからだ。

この司法判断が監査の厳格性を後押しすることになる。

その結果、経営に対する監査の圧力は強まる。

                     

監査以外にも、経営に対する圧力は強くなっている。

住民訴訟で談合した3社に都へ97億円の支払請求。

最近、この住民訴訟を裁判所が認める判決。

住民の経営に対する圧力を司法が後押ししている。

                     

株主の圧力も強まっている。

外資系ファンドで、物を言う株主が増えている。

敵対的TOBを仕掛けるファンドもある。

友好的な会社の統合提案を否決に導いたファンドもある。

                  

さらに、大幅増配を要求し始めた英系ファンドが登場した。

Jパワーに対し、期末配当金を30円→100円の増配。

中部電力に対し、期末配当金を30円→60円の増配。

今後も、このような株主の要求圧力は強くなるだろう。

                      

このような経営への圧力は、監査役への圧力ともなる。

監査法人→監査役、株主→監査役という圧力。

この圧力を法律環境は強化支援する内容となっている。

その結果、監査役が経営への圧力を強めることになる。

                           

従来、経営者は株主等の圧力を考えるのは不要だった。

今後は、経営者は株主等の圧力を考慮する必要がある。

経営者は、株主等の納得を得るようにする必要がある。

よって、株主等の意向を常に収集する必要がある。

                 

会社情報を一方的に開示する時代は終わった。

株主等を説得する情報開示が必要な時代になった。

会社情報と株主等情報との両面の収集が必要だ。

会社情報は、株主等情報を考慮したものである必要がある。

                          

                     

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IR型であることが総会の必要条件

平成19年5月総会以降、法務省令の全面適用が始まる。

株主総会参考書類、事業報告等で情報開示が拡大する。

何を、どのように書くか、どこまで書くかが課題となる。

これに関する雛型も登場している。

          

監査役・監査役会が作成する監査報告にも課題がある。

1つの書式にするか、2つを分けて作成するかも課題。

監査役権限が拡大したため、書く内容も変わる。

内部統制体制の相当性等まで書く必要があるからだ。

                         

新会社法の下では、説明義務の範囲が拡大する。

詳細は改めて説明するが、上記の考えは重要だ。

議案に関しての説明義務について言おう。

有価証券報告書の記載事項は、説明義務の範囲。

                     

加えて、東証等へ提出するガバナンス報告書も含む。

CSR報告書等説明義務の範囲内となるだろう。

これらの情報は投資家に関心があるからである。

参考書類の記載事項を基準に考えるのは古すぎる。

                          

株主・投資家に提供する書類は重要な意味を持つ。

そのときに、ひな形で、横並びのことを最小限だけ書く。

これは、株主・投資家を意識すべき時代に適合するのか。

そこで、何を、どこまで、どのように書くかが重要になる。

                    

そのためには、株主総会関係書類を書く方針が必要だ。

方針なくして、各書類を担当部門が勝手に書いていいのか。

書類間で不統一な内容の記載があれば、株主に突かれる。

そのような配慮を必要とする時代になったことは確かだ。

                      

そういう時代、総会用書類とIR書類の関連を意識べきだ。

総会でIR書類を視野に入れる時代なのである。

そうであれば、株主総会はIR型でなければならない。

それが株主総会の最低必要条件である。

                  

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株主総会の目的の変化

株主総会の目的が変化している。

社会状況や資本市場の影響等の変化を背景にしている。

総会屋が活躍した時代の総会運営の目的は3つあった。              

1つは、利益供与をしないこと

2つは、総会運営に法的瑕疵がないようにすること

3つは、総会運営を円滑にし、かつ適正な時間で終えること

             

総会運営の目的に利益供与をしないことがある。

総会屋との関係で、利益供与の危険があったからである。

他方、会社提案議案の可決は目的ではない。

会社提案議案の可決を心配する必要がなかったからだ。

                        

最近の総会運営の目的は、次の3つである。

1つは、会社提案議案を可決させること

2つは、総会運営に法的瑕疵がないようにすること

3つは、株主とのコミュニケーションをとること

                 

ほとんどの会社では、利益供与をしなくなった。

そのため、利益供与は総会運営の目的ではなくなった。

他方で、会社提案議案の可決が目的にあげられる。

最近の総会では、会社提案議案の否決があるからである。

                     

さらに、総会運営の円滑・適正な時間という目的が消えた。

荒れる総会が減り、会社の運営法が確立したからである。

かわりに、株主とのコミュニケーションを目的に入れる。

資本市場の影響を考慮し、IR型総会を目指すからである。

           

今後の総会の目的は、つぎの3つとなる。

1つは、会社の議案提案を自由にし、それを可決すること

2つは、総会運営に法的瑕疵がないようにすること

3つは、株主の納得・支持を受けるようにすること                 

                  

現在、会社の提案議案に対する株主の影響は無視できない。

経営の自由のためには、議案を決定する自由が必要だ。

そのため、経営に自由を確保するための方策がいる。

その1つが、安定株主比率の向上である。

          

総会に関して、株主の納得と支持を得ることも方策となる。

そのことが、株主総会の目的となる理由である。

それが同時に、会社提案議案の可決を保証する。

加えて、議案に限らず、経営の自由を保証することになる。

                     

今後の株主総会運営では、法的瑕疵が重要性を増す。

議案に関する説明義務の範囲が大幅に拡大するからだ。

参考書類の記載事項を基準にするのは過去のものだ。

今後は、形式的・抽象的基準ではなくなるだろう。

                     

その点は、次回以降に書くつもりだ。

説明義務を従来の常識で捉えるのは、危険である。

法的瑕疵に関して、専門的知見で対処する時代になった。

株主総会が大きく変わろうとしていることだけは確かだ。

                

                 

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議案の説明義務の範囲は変わった

なかなか書く時間が取れない。

鳥飼Weeklyではなく、旬刊鳥飼が実態である。

             

株主総会における株主の質問に対する説明義務について。

議案に関する取締役の説明義務は、従来とは大きく異なる。

議案に関する取締役の説明義務の範囲は次のとおりである。

「通常の株主が知りたいと思う情報」 の提供

     

従来の説明義務の範囲は、次のとおりだった。

「参考書類に記載された事項を補足する程度の情報」の提供                  

基準は明確であり、しかも、抽象的情報の提供で足りた。

そのため、説明義務違反になる恐れはほとんどなかった。

                  

しかし、資本市場重視の現在、従来の基準は通用しない。

資本市場を重視するには、情報開示が拡大するからだ。

その資本市場における一般株主の存在感も増している。

株主総会における一般株主の重視の当然の帰結でもある。

                 

今回は、時間がないので、結論だけに留める。

近日中に、理由を述べることにする。                

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説明義務の範囲を拡大すべき理由

前回、決議事項の説明義務の範囲が拡大したと書いた。

その結論を、以下に再現する。

「通常の株主が知りたいと思うような情報」

今回は、その理由を説明したい。

                 

第一の理由は、決議事項の説明義務の根拠からである。

通常の株主は適切に議決権を行使をしたいものである。

それを可能とするには、どのような情報が必要か。

そこに、決議事項の説明義務の根拠がある。

                

通常の株主が必要とする情報はつぎのようなものである。

①決議事項の内容を理解するための情報である。

②決議事項について賛否の判断をするための情報である。

それらの情報の最小限は、株主参考書類に記載される。

                 

参考書類に不記載でも、株主の参考になる情報はある。

その情報でも、株主の賛否の判断に資するものがある。

このような情報の提供を総会で株主が求めることがある。

参考書類の記載事項の補足でないと、説明義務がない。

こう考えるのは、説明義務の根拠からは不合理である。

                

決議の賛否に必要な情報であれば、説明義務がある。

そう考えるのが、説明義務の根拠から合理的である。

株主の立場から必要な情報を参考書類で遮断する。

そういう考え方は、論理的とはいいがたいからである。

              

第二の理由は、会社法施行規則の規定振りにある。

会社法施行規則は参考書類の記載事項を規定している。

その記載事項は、従来と異なり、具体的な事項を含む。

社外役員に関する記載事項がその典型例である。

                

取締役会での出席・発言状況、不祥事関連の記載等。

これらの記載はある程度具体的である。

当該記載は社外役員としての適性判断の参考情報である。

このような情報は社内役員候補者の適性に役立たないか。

      

取締役会での発言状況、不祥事と関連してとった行動等。

これらの情報は、社内役員の適性判断に参考となる。

ところが、これらの情報は、参考書類記載事項ではない。

これらの情報は、参考書類の記載事項の補足だろうか。

                

説明義務の範囲を限定するのが従来の発想である。

そのために、参考書類の記載事項を基準とした。

説明義務の範囲が広がっても、記載事項の補足まで。

そう捉えたのが従来の通説であり、実務である。

               

そう考えると、上記の情報は、捕捉とはいいがたい。

それでも、上記の情報を補足と捉える立場もありえる。

そうなら、参考書類の記載事項の基準性は喪失する。

説明義務の範囲を実質的に考えることになるからだ。

             

参考書類記載事項に基準性を与えることは困難である。

それに基準性を与えると、上記の情報は説明不要となる。

その結論は明らかに不当である。

社内役員の適性判断に必要な情報の提供は必要だから。

規則の具体的記載の要求は、従来の考え方を崩壊させた。

そう考えるのが自然である。

                         

第三の理由は、株主総会のチェック機能の強化がある。

会社法は、経営の自由の拡大をした。

一定の範囲で事業再編は取締役会決議だけでよくなった。

剰余金の配当等も条件を具備すれば、取締役会決議だけ。

                    

株主総会は取締役等のチェックをする機能が重視される。

それが、取締役等役員の選任議案に集約される。

総会のチェック機能の重視が説明義務の範囲を拡大する。

チェックのため、以前よりも経営情報の提供が必要となる。

              

通常株主が役員チェックのために知りたい情報。

説明義務の範囲は、ここまで拡大するのが合理的である。

しかも、株主の知りたい情報は、今後はもっと拡大する。

物を言う株主の登場で株主の関心度が高まっているから。

参考書類の記載事項の補足では、もはや十分ではない。

    

第四の理由は、東京スタイル事件判決である。 

取締役選任議案に説明義務の範囲を示している。

形式は、参考書類の記載事項を敷衍する範囲としている。

しかし、実質は、従来の枠を超えた判決だと理解できる。

              

東京地裁判決は、次のように言っている。

「それらの者の業績、再任取締役候補者の従来の職務執行

の状況など、平均的な株主が議決権行使の前提として合理

的理解及び判断を行うために必要な事項」

             

業績や従来の職務執行の状況の説明義務があるとする。

それらの情報は、通常の株主が知りたい情報だからである。

その意味では、この判決の結論は妥当である。

これら実質的情報を敷衍というのは文字の意味には忠実だ。

敷衍という文字は、趣旨を広げると言う意味を含むからだ。

                               

判決が敷衍を趣旨を広げるという意味で用いるなら賛成だ。

ただ、参考書類に縛られた発想には、賛成できない。

その発想は説明義務の範囲を限定しようとするからである。

総会屋が跳梁した時代背景の考え方は克服すべきである。   

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株主総会の運営方法の見直し

今年の株主総会の運営方法には、見直しが必要である。

その背景には、いろいろな事情がある。

1つには、会社法・法務省令の全面的適用がある。

株主総会に関連して、徹底的な情報開示が行われる。

                

2つには、株主側の変貌がある。

投資ファンドを核に、会社経営に物を言うようになった。

会社提案議案の否決・撤回、株主提案までする。

そのため、一般株主が目覚め始める兆候がある。

              

3つに、会社に会計問題がのしかかっている。

相変わらず、粉飾等の会計不祥事が多い。

多くの点で、会計に関する改正が行われている。

来年から、財務報告に関する内部統制が導入される。                   

                  

以上のような様々な背景の中で、株主総会が開かれる。

株主総会の運営に関する見直しが必要かの検討を要する。

ただ、この際に注意が必要な点がある。

それは、各社が置かれている環境が、異なることである。

                

各社は、自社の環境に適して運営方法を行うべきである。

自主的に、自社に最適な運営方法を決めることが望ましい。

検討の結果、従来どおりの運営方法でもよいこともあろう。

自社の現在の環境に最適の総会の運営を考えることだ。

    

どういう要素が運営方法に影響を与えるのであろうか。

その主要なものと取り上げてみる。

                             

①安定株主比率が高いか否か

安定株主比率が低い会社は、総会の事前準備が必要である。

総会運営でも、いろいろな問題点に対応する必要がある。

その比率の高い会社でも、安心は禁物である。

              

②物を言う株主がいるかどうか

行動的な外資系ファンドのような株主がいる会社がある。

敵対的防衛法を総会決議する場合の対応が重要になる。

株主提案に対する対応も必要となろう。

その結果、総会の事前・当日の対応が重要となる。

                  

③不祥事等の問題があるか否か

不祥事や事故があった会社では、総会運営が重要になる。

株主の質問や意見は厳しくなるからである。

株主代表訴訟との関連にも注意が必要となる。

             

④発言株主が多いか否か

最近は、発言株主が多い会社が増えている。

今後は、株主の発言はさらに増えることになろう。

株主発言が多いと、いろいろな注意点が生じる。

         

役員の説明義務の範囲の問題、動議の処理の問題。

審議の打ち切りの問題等が法律問題を考える必要がある。

そのため、審議方法の検討が必要な場合がある。

         

⑤問題株主がいるかどうか

問題株主とは総会運営に無理難題を持ち込む株主である。

総会屋、社会運動家、対立的労組、クレーム株主等である。

問題株主がいれば、会社主導型総会が必要となる。

そうはいっても、IR型の総会運営も必要となる。

       

⑥議長の性格・経験に問題があるか否か

議長が人前であがる性格だと、運営法に工夫がいる。

議長が株主を恐れている場合の運営法も工夫がいる。

議長が初めての場合には、運営準備も含めた工夫がいる。

           

議長が運営に自信満々である場合にも、注意が必要だ。

経験の豊かさは総会運営の常識が変わるときはリスクだ。

総会運営に法的瑕疵が生じる可能性があるからだ。

             

以上のように、一般的に見ても、各社の運営法は異なる。

個々具体的な事情を抱えていれば、なおさらである。

そのような各社の事情を考慮して、最適、次善を考える。

課題が分かれば、必ず、解決策はある事を忘れないことだ。

              

次回以降に、いろいろな要素を考慮した運営法を述べる。

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質疑応答では、本来、困ったことはない

物を言う株主は、議決権を背景にしている。

その議決権は、株主総会で威力を発揮する。

株主が物を言い始めると、株主総会が経営を左右する。

株主総会の運営だけを考える時代は終わったのである。

                  

株主の意向を考えた経営・株主総会が必要になった。

経営の実際が株主総会での質疑応答を規定する。

経営の実際を離れて、適切な質疑応答はできない。

           

反対に、株主総会のあり方が経営を規定する。

総会で株主が納得する説明ができないとどうなるか。

経営者は、思いどおりの経営ができない可能性がある。

東京鋼鉄は大阪製鉄との経営統合ができなくなった。

                    

今回は、質疑応答の例を取り上げよう。

社外役員に関する情報開示が拡大した。

事業報告に、取締役会への出席・発言状況が記載される。

その結果、株主は、出席の悪い社外役員を知ることになる。

                  

例えば、12回の取締役会中、出席が3回と記載される。

株主は、この社外取締役の出席率の低さを知ることになる。

このような出席状況では、社外役員の役割を果たせない。

株主がそう思うのは当然である。

           

そこで、株主は質問をする。

このような出席で、社外役員としての役割を果たせるのか。

経営における実情が、総会で重要な問題となるのである。

                                    

当該社外取締役が再任候補者の場合もある。

この場合、決議事項の説明義務の問題の可能性がある。

役員の適格性に関し、通常の株主は知りたい情報だから。

一括審議方式であれば、決議事項の説明義務が生じる。

                                         

会社はどのように回答すればよいのか。

「事前に情報提供し、意見を聞いているし、

その意見を取締役に報告して参考にしている。」

これは、あまり説得力がない説明である。

本来、取締役会に出席してこそ役割が果たせるからだ。

                                        

そこで、出席回数の少ない過去は率直に認めることだ。

その上で、再任後の将来の出席回数の確保を約束する。

株主は投資家であり、将来が期待できるかに関心がある。

その将来の期待に応える旨の約束をすることだ。

                                                  

社内取締役再任候補に、次のような質問があるとする。

当該候補の取締役会における発言回数は何回か。

これも、決議事項の説明義務の問題となる可能性がある。

経営の実際が株主総会にさらされることになる。

                                                       

1回しか発言のない場合に、どう回答するのか。

取締役の職責を果たしているか疑問がある。

この株主の疑問は率直に認めるほかない。

           

再任後は、もっと積極的に発言する。

そのことの期待を持たせる説明をするほかない。

今後の株主総会においては、誤魔化しは通用しない。

    

2つの単純な質問を取り上げた。

それだけでも、経営の実態が浮き彫りにされる。

総会の質疑応答は経営の真実への直面でもある。

想定問答の検討は、株主視点で行う必要がある。

            

ただ、1つだけ言えることがある。

各社の状況の中で、適切な回答は必ずある。

不祥事等で困った状況でも、適切な回答はある。

本来、質疑応答は旨く行くことになっている。

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投資ファンドの言いなりになるな

同感だ、そう思った記事に出会った。

平成19年6月14日付日経金融新聞の記事である。

(当初、日経産業新聞と記載したのは誤り)

「経営者は恐れるな」という表題が付いている。

ボルトン氏というファンドマネージャーに関する記事だ。

                     

保有株比率が低い物を言う株主の言いなりになるな。

そういう趣旨の発言をボルトン氏は言っているようだ。

ファンドの言いなりで部門分割した菓子会社を批判した。

物を言う株主におびえすぎていると言うのである。

                 

同氏は、次のように言っている。

「一株主の要請に振り回されるべきではない。

時間がかかったり、メディアの圧力がかかったりする

かもしれないが対抗しなければならない時もあるはずだ」

                 

正論である。

経営者は自分なりの考えで経営をしているはずである。

経営者は、自分の判断でする経営に責任を負っている。

そうであれば、ファンドの批判に自信を失う必要はない。

                 

自分の経営方針に自信があれば、ファンドに反論できる。

自分の経営方針に自信があることを示すのが説明責任だ。

ファンドの批判に対して、経営者は説明責任で対決する。

これが本来の経営者の態度であろう。

                  

経営者に見識がある場合にそのことが当てはまる。

見識は将来の優れた見通しであるが、少数意見である。

批判を恐れず、その見識を実現する実行力を胆識という。

その胆識こそ、経営者の身につけるべきものである。

              

胆識があれば、千万人と雖も、我行かん、の心意気。

投資ファンドやマスコミの批判に対抗することである。

そのぐらいの自信のある経営者を市場は求めている。

そのことをボルトン氏の発言は教えているのである。

               

同氏の発言はファンドマネージャーの実績の背景がある。

同氏の運営する英株投資信託は抜群の運用成績らしい。

30年近い資本市場での運用実績からの発言なのである。

資本市場の真の声を経営者は聞き分ける必要がある。

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前回の原稿の訂正、ついでに、ブルドックソース

前回の原稿に誤りがあったので訂正したい。

前回の原稿で、「日経産業新聞」の記事だと紹介した。

それは誤りであり、「日経金融新聞」の記事が正しい。

誤りをご指摘いただいた方には感謝を申し上げる。

                    

ブルドックソースの総会で、敵対的買収防衛策が可決。

特別決議が通過したのであるから、その意味は重い。

特別決議で株主が敵対的買収に反対したからである。

この状態では、敵対的買収自体成り立たない。

               

当初から特別決議で買収防衛策を導入したとする。

当該会社の株式をアクティビストファンドは取得しない。

買収防衛策を導入せず、その気にさせておいての導入。

この場合、ブルドックソースを被害者と見れるか。

                      

敵対的買収者がグリーンメラーなら、被害者と見れる。

そうでないのなら、敵対的買収者が被害者となるのかも。

新株予約権を行使できない敵対的買収者に金銭弁償。

これによって、買収者の損害は補填されたと言えるのか。

                      

元々敵対的買収できないのに、狙った株主が悪いのか。

狙う株主にも、市場におけるリスクがあるもいえる。

それとも、特別決議を取れるのなら、勝手にTOBをさせろ。

その結果、TOBが失敗するのが市場原理といえるのか。

          

近日中に、裁判所の判断がある。

裁判所が市場原理と特別決議との板ばさみとなる。

いずれにしても、今後の実務に対する影響は大きい。                     

               

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「豊潤なる企業」を書き上げた

久しぶりに、ここの原稿を書く。

「豊潤なる企業」という本の完成に集中したからである。

企業には普遍的な成長原理がある。

その原理を内部統制に活用するために書いた本である。

                

企業は人間が創り運用する組織である。

企業が成長するか否かは、経営者等の人間の成長次第だ。

人間には普遍的な成長の原理がある。

そうであれば、人間の成長原理を企業の成長に使えるはず。

                 

そのため、人間の成長原理を内部統制に使えると考えた。

この人間の成長の原理を応用した人に、先駆者が多い。

東京電力、ホテルオークラ等の創業に関わった大倉喜八郎。

トヨタ自動車等トヨタグループの源流である豊田佐吉。

                 

企業も人なり、というが、まさに企業の盛衰は人である。

内部統制の構築にも、この人の観点が重要である。

そのことを中心に書いたのがこの本である。

発売は、8月下旬になる予定である。

               

今後は、ここの記事を、書くようにしたい。

1ヶ月超にわたる長期間の空白をお詫びしたい。

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長期保有株主への優遇策

最近、今年の株主総会に関するセミナーを行った。

その後、参加者からいくつかの質問が寄せられた。

質問の1つに、長期保有株主への優待策の適法性があった。

参考になるので、その質問に対する回答を紹介しよう。

                        

長期保有株主を優遇する会社が増えてきている。

その多くは、株主優待制度における優遇である。

株主優待制度は、会社法に規定がない。

その意味で、その制度利用はグレーゾーンである。

                

法律的には、適法性の詰めはされていない。

赤信号かもしれないが、皆で渡れば怖くない。

こういう心理で実務は動いている可能性がある。

法律的にいえば、そういう面があるかもしれない。

                  

株主優待を法律的に詰めるとどうなるのか。

一説には、現物配当の一種だと言う法律家がいる。

仮に、この説が正しいとすると、次のような扱いとなる。

持ち株数に比例して株主優待をしなければならない。

              

ところが、長期保有株主を優遇すると、上記要請に反する。

つまり、株主平等の原則に反する恐れがあるわけである。

実際に裁判所が株主平等の原則に反するとするかは不明だ。

実務で行われているのを違法とすることに躊躇するからだ。

                     

これに対し、新株予約権を付与する優遇策がある。

同和鉱業の例である。

この優遇策は株主優待と異なり、法律的検討を経ている。

                

一定の基準日のすべての株主に新株予約権を付与する。

この点で、株主平等の原則違反はない。

その上、3年以上の保有を行使条件とされている。

その結果、将来的視点での長期保有株主の優遇となる。

                  

過去視点で長期保有株主を優遇しようとはしていない。

この点が、過去視点の株主優待制度の利用と異なる。

過去視点だと、長期保有株主と否とで扱いが異なる。

この点が、法律的に詰めると問題となる可能性がある。

                     

株主優待を利用する会社が圧倒的多数となるかもしれない。

そうなれば、これが一種の社会常識となる。

社会常識を違法として訴訟を起こす株主はいないだろう。

また、裁判所も社会常識を違法と判断することはないだろう。

               

そういう期待が実務にはあるのだろう。

その期待に支えられて、株主優待制度が利用されている。

そんな気がする。

              

現状の企業法務では、同じようなことが多い。

法律的検討を経ていないで、前例踏襲をしている。

内部統制が重視される今後は、これでよいのだろうか。

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村上判決とブルドック最高裁判断から見えるもの

2つの事件での判断の日本の資本市場への影響を考えたい。

1つは、村上世彰氏への東京地裁の実刑判決である。

もう1つは、ブルドックソース事件の最高裁決定である。

              

世界の金融センターのランキングで東京は9位である。

アジア・太平洋地域では、東京は4番目の地位である。

香港が3位、シンガポールが4位、シドニーが7位である。

アジア地域でも、東京は、3番手に過ぎない。

現在、アジアの金融センターの地位を争っている。

                    

このような将来的視点からすれば何が重要か。

東京の資本市場を世界に向けて開放する必要がある。

そのため、資本市場インフラとしての司法が重要となる。

                     

日本の司法は、アジアでは信頼するに値するものである。

問題は、投資家に対してフェアーであるかである。

要は、投資家を重視する司法であるかである。

そうであれば、世界の投資家は安心して投資できるからだ。

                  

上記の2つの事件の司法判断は、投資家保護を考えている。

2つの裁判所の判断は、個人投資家の保護で共通である。

村上氏への実刑判決は、プロ投資家を視野にしていない。

インサイダー情報に接点を持たない者の立場の判決だから。

                

実現の可能性が少しでもあればインサイダー情報となる。

これが東京地裁判決である。

インサイダー情報に接しやすいプロ投資家は危険となる。

そのような情報に接しない個人株主は公平な判断と考える。

                       

東京地裁判決は、個人株主の立場から判決を書いている。

判決文に「利益至上主義にはりつ然とする」と書いてある。

日本の個人株主は利益至上主義ではない。

自分の利益になる増配提案に反対をするのだから。

                

プロの投資家は、利益を上げるために投資をする。

ある意味では、利益至上主義でなければならない。

資本市場は、利益至上主義を認めることで成り立つ。

東京地裁には、この資本市場の視点はない。

             

ブルドックソース事件における最高裁の判断を検討する。

スティール・パートナーズは濫用的買収者だと断定しない。

投資ファンドをプロの投資家は濫用的買収者だと見ない。

その点では、資本市場への配慮が見られる。

              

買収で株主共同の利益が害されるかどうかの判断。

これは、株主の意思を尊重する、そう最高裁は言う。

買収者以外のほとんどの株主が是認、それを重視する。

実際、議決権の約84%が会社提案に賛成した。

                

個人株主の大多数も、ほとんど、会社を支持した。

最高裁の判断の背景には、この点があるものと思われる。

裁判所の判断の基礎には、社会の通常人の常識がある。

個人株主の多数の意思に社会の通常人の常識を見たわけだ。

                        

プロ投資家中心の資本市場の立場なら、別の判決になる。

その可能性がある。

買収防衛策を認めず、株主にTOBに応じるかを任せる。

濫用的買収者でなければ、それで株主の利益が守れる。

これが資本市場の論理だと言えそうである。

                

市場の方式で株主利益が守れるなら、市場に任せる。

この場合には、株主総会の登場する余地はない。

市場の方式で株主の利益が守れないときもある。

その場合には、株主総会で株主の利益を守る。

                  

まさに、濫用的買収者の場合である。

これが資本市場の立場の判断枠組みなのかもしれない。

                

日本の法秩序は、資本市場の中心を個人投資家に置く。

金融商品取引法の内部統制も、個人投資家保護である。

裁判所は、現在の法秩序の維持のために判断をする。

2つの判断が個人投資家に視点を置くのは理解できる。

                       

しかし、この判断は、将来的視点から見れば、疑問だ。

東京をアジアの金融センターにしようとする者はそう思う。

ある著名な金融のプロは、2つの判断に関して言っていた。

これで決まった、東京はアジアの金融センターになれない。

                

東京をアジアの金融センターにすべきである。

そこに、日本の将来がかかっているのは確かだ。

製造業だけでは、日本の将来に展望が開けないからだ。

              

しかし、現行法秩序は、資本市場の開放の阻害をしている。

立法も、行政も、司法も、資本市場の開放に踏み切れない。

資本市場をプロ投資家の活躍の場とすることをしない。

                            

この立法・行政・司法の限界を超える必要がある。

最も望ましいのは、資本市場整備の立法をすることだ。

そのためには、金融商品取引法の改正も必要だろう。

個人投資家保護から脱し、市場の公正を中心に置く。

         

もう1つ重要なことは、個人投資家を成熟させることだ。

現在の個人投資家は貯蓄との比較で、株式投資を考える。

欧米と比較し、相当低い配当利回りでも満足している。

むしろ、投資家的でない、株主優待を重視している。

                      

日本の経営者は、このような個人株主の支持を得ている。

ある意味では、個人投資家の未熟さで救われている。

ただ、個人投資家が未熟なままで終わることはない。

今後、個人投資家は徐々に成長し、成熟してくるだろう。

                       

経営者には辛いことだが、個人投資家の成熟が必要。

しかも、なるべく速く成長してもらう必要がある。

遅いと、アジアの金融センターの地位が東京でなくなる。

              

2つの事件の裁判所の判断から、見えてくるものがある。

それぞれの判断の法律的意味も重要ではある。

それは、虫の目的であり、現状肯定的視点である。

しかし、鳥瞰図的に、将来的視点で、見ることも重要だ。

                 

2つの裁判所の判断から現在の問題点が見える。

同時に、将来への課題も見える。

日本の将来を豊潤にするには、この視野が重要だ。

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経営者受難時代の到来の受け留め方

現在の日本は、豊かな国である。

社会全体が、その豊かさが当然であると考えている。

社会の空気にも、危機感が感じられなくなっている。

その帰結が、不祥事の続発である。

                 

人間は、危機的状況を乗り越える歴史を持っている。

日本人も幕末、西欧列強の属国になる危機を乗り切った。

終戦後の焼け野原から、日本人は立ち上がった。

危機を意識すれば、日本人はそれを乗り越えられる。

                 

ところが、最近の日本では、危機感を喪失気味である。

その典型が、失われた十年である。

金融危機を乗り切るのに時間がかかった。

危機感が弱かったからである。

              

今後は、経営者に危機感・緊張感を強いる時代に入る。

内部統制の法律規制は、経営者の責任を厳格にする。

その兆候が垣間見られる。

             

大企業の経営トップの刑事事件で、実刑判決が出ている。

会社自体が、経営者の民事責任を追及し始めている。

内部統制の進化にしたがって、この傾向は強化される。

              

株主提案で経営方針の変更を迫る株主が登場した。

会社に対し、敵対的買収を試みる者も出てきた。

現状では、これらの試みは成功していない。

しかし、経営者に脅威を与え、危機感を与えている。

              

経営者に従来と異なる危機感が生じていることは確かだ。

これを経営者がどう受け留めるかが重要である。

会社の成長を考えた場合、守りは必要ではある。

だが、より重要なことは、成長のため攻めることである。

                  

経営者が危機感を持つことは、会社成長の機会である。

経営者は、この状況をチャンスと受け留める必要がある。

危機感があるときに、人間も企業も成長するからである。

むしろ、危機感を与えてもらってありがたいと思う。

                 

危機感を与えられる経営者にとっては、辛いであろう。

経営者が辛いぐらいだからこそ価値があるのである。

企業が危機のとき、経営者・従業員が一体感を持つ。

        

大企業では、この一体感を持つ機会が減っている。

この一体感のある状態は、企業成長の基礎である。

この一体感を企業の成長に活用することである。

防衛だけに頭を使うのは、もったいないことである。

                    

経営者受難の時代の到来は、企業成長の時代でもある。

優秀な経営者は、そのことに気づくであろうから。

この点に関しては、改めで書くことにしたい。

重大なヒントは、私の著書「豊潤なる企業」に書いてある。

宣伝じみて、恐縮であるが。

                        

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100万円の生活費残し、賠償?

「生活費100万円を残し賠償

足利銀行 旧経営陣8人和解」

                     

これは、9月11日付日経新聞の見出しである。

経営破綻に関する旧経営陣の法的責任の記事である。

当面の生活費として、100万円を認めるのみである。

それ以外の、預貯金や資産処分で賠償責任を負うのである。

               

これは、責任を負う経営者にとって、破産をするに近い。

これほど厳しい法的責任を負った上場企業の経営者はない。

従来ならば、被告役員全員で、総額1~3億円程度で済んだ。

破産状態まで追い込まれることは無かったのである。

          

このような厳しい法的責任が訴訟上の和解で成立した。

裁判官の関与の下で、役員の厳しい責任が認められた。

この点は、今後に役員の法的責任を考える上で重要だ。

今後は、役員の法的責任が厳しくなる予兆になるからだ。

               

この和解の他、監査法人と監査役も和解しているという。

取締役側だけでなく、監査する側の法的責任を負っている。

この点も、今後の監査の厳しさを予測する手がかりとなる。

          

私は以前から、役員の責任は厳しくなると主張してきた。

会社に数十億円の損害を与えた事案があるとする。

法的責任を負う役員の法的責任が、1~3億円が相場。

これでは、社会の人々が納得するはずがないからである。

               

責任を負う役員が可愛そうだというのは、企業側の論理。

その企業側の論理を次第に社会は認めなくなってきた。

内部統制の法律規律は、この社会の考え方を推進する。

不祥事による責任を役員に厳しく追及する方向性を持つ。

         

内部統制の法律規律は、会社が役員の責任追及を求める。

この場合の役員の法的責任は、非常に厳しいものになる。

従来の株主代表訴訟以上に厳しい追及が待っている。

           

役員の法的責任を追及する証拠が揃っている場合が多い。

他の役員には、法的責任を追及するように圧力がかかる。

内部統制の法律規律があるからである。

          

法的責任を追及できない組織の内部統制は問題がある。

そういう非難を受ける可能性が高くなる。

法的責任の疑いがある役員に、弁護士の調査が行われる。               

その調査も、外部弁護士を使わないものは信用されない。

              

そういう時代が、今、到来しようとしている。

旧経営陣に対する上記和解は予兆である。

それは、まだ、序曲に過ぎない。

本格的な役員の法的責任の時代の幕開けは近い。

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役員の妻子にも悲劇が

前回、足利銀行事件の和解について述べた。

内部統制の法律的規律が動き出すとどうなるか。

その一端を見せたのが、足利銀行事件の和解である。

                     

内部統制では、ルールを重視する体制を構築する。

その体制が構築されると、ルールが浮き彫りになる。

そのため、ルール違反は、発覚しやすくなる。

ルール違反は、証拠で裏付けられやすくなる。

                           

ルール違反は、厳しく責任追及されるようになる。

厳しい追及の結果の悲劇が相続問題である。

これが内部統制による役員責任の現実となる。

               

最近の実例でいえば、次のようになる。

日興コーディアル事件は、発覚しやすくなった実例である。

背景には、相当な数の内部告発があったからである。

                

役員の法的責任が認められやすくなった実例がある。

日興コーディアル事件は、弁護士による調査をした。

この調査で、法的責任を裏付ける証拠が発見された。

その結果、経営トップの法的責任を認める結果が出た。

              

足利銀行事件でも、同じような動きがあった。

不祥事後の後継の経営陣は、積極的に調査をする。

そうでなければ、企業の存続に関わるからである。

時代状況が確実に大きな変化を遂げたのである。

               

蛇の目ミシン工業事件の最高裁判決も重要だ。

取締役責任を、可哀相だと、情緒的に扱かわなかった。

あくまでも、取締役として会社の利益を守れたか。

この法律的観点を貫徹した規律重視の判決である。

                     

役員に厳しい最高裁判決の影響もあるのだろう。

ダスキンの大阪高裁判決は、役員の法的責任を肯定した。

会社の利益を基点にして、開示義務違反を認めたのである。

これらの判決は、役員責任を認めやすくなった傾向を示す。

               

役員責任を認めやすい状況の中で、責任追及が本格化する。

会社が役員の法的責任を追及する時代の幕開けである。

日興コーディアル事件がその典型例である。

           

株主代表訴訟が役員の法的責任の主役の座を降りる。

そういう時代に入ったのである。

これが、内部統制の規律の必然的結果なのである。

              

責任ある役員の責任を追及できない組織。

そこには、内部統制体制に欠陥があるといえるからだ。

役員の責任を追及することができることが内部統制の柱。

そう理解する必要がある。

                  

その結果、会社が責任追及をすると安易な妥協はできない。

あくなき損害回復をすることが要請されるからである。

その典型例が、前回説明した足利銀行事件の和解である。

役員の個人財産は全部召し上げになる。

                     

そこに、相続が加わると役員の妻子に悲劇が起こる。

役員の責任問題に、役員の家族を巻き込むことになる。

役員の法的責任を、相続を通して妻子が承継するからだ。

その結果、役員の妻子の固有の財産が召し上げられる。

             

妻がその親の相続で得た土地・建物等の財産の危機である。

息子が成功して築いた財産の危機でもある。

何の責任もない役員の妻子に悲劇が起こる可能性がある。

                 

役員の責任を承継した妻子の財産から損害回復をする。

これを法律的ルールとして、会社は責任追及するからだ。

この相続問題に関しては、次回、説明することにする。

いずれしても、内部統制は、役員の責任を厳しくする。

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内部統制と妻子相続問題その1

役員の法的責任の相続問題は「豊潤なる企業」でも触れた。

相続が役員の法的問題の核心だと以前から思っていた。

役員の妻子の固有財産が奪われる可能性があるからだ。

この話になると、役員は身を乗り出して聴いてくれる。

                

相当前のことだが、財界のお歴々の前で講義をした。

「株主代表訴訟と役員の責任」の講義だった。

出席者は60人ほどだった。

           

当初、昼食会は、全員が出席。

昼食後の私の講義では、半分の出席予定だった。

ところが、レジメの最初に、相続問題を載せていた。

その結果、どうなったか?

           

一人の退席もなく、60人全員が私の講義を聴いてくれた。

熱心な質問もあり、予定時間を超過する講義となった。

信じられない光景であったが、これは実話である。

                      

とくに、相続問題でもっと困るケースがある。

役員の相続が行われた後に訴訟提起がある場合である。

この場合には、妻子の固有財産の危機なのである。

              

妻がその父から承継した資産を失う可能性がある。

子供が自力で築いた財産を失う可能性がある。

これが妻子の固有財産の危機の意味である。

               

従来の考え方だと、妻子の固有財産を守ることはできない。

それは不合理な結論だとして、論文を書いたことがある。

ある大手企業の雑誌の1997年3月号である。

「株主代表訴訟と役員の家族の問題」という題である。

                    

この論文は、ほとんど、実務家の関心を呼ばなかった。

代表訴訟では、相続問題の危機を実感しなかったからだ。

しかし、会社による役員の責任追及では、そうはいかない。

役員の妻子の固有財産の問題に直面するからだ。

                                    

10月16日に、経団連のトップセミナーで講義する。

役員の法的責任の相続問題は深刻なことである。

そこで、トップセミナーでこの話を中心に講義をする。

代表訴訟の時と会社による責任追及との差異をである。

                 

この差異は、理論上のものと実務上のものとがある。

私の論文では、役員の妻子を保護すべきだとした。

要は、相続放棄、限定承認を認めるべきだ、との結論だ。

                     

妻子の相続を2つの場合に分けること。

株主代表訴訟の場合と会社による追及の場合との差異。

次回は、これらについて述べることにする。 

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内部統制と妻子の相続問題その2

「身ぐるみはがされる決着」(最近の朝日新聞)

これは、足利銀行事件での訴訟の和解のことである。

100万円超の預金・有価証券・自宅からの賠償を指す。

ここに、会社による責任追及の厳しさがでている。

           

この厳しさは相続を介して、役員の妻子にも及ぶ。

この点の指摘を前回までにした。

最近、会社による責任追及で厳しくない和解があった。

三菱自動車事件における訴訟上の和解である。

                 

リコール隠しに関する旧経営陣に対する訴訟である。

6人の旧経営陣に対し、計1億円の和解金であったようだ。

(9月21日付日本経済新聞)

会社の請求額は約11億円で提訴したという。

                        

1億円で和解できれば、妻子による相続問題は深刻でない。

このような金額の和解であれば、自宅は残ることが多い。

預金や有価証券も残る可能性が十分あるからである。

                  

しかも、元社長に対する請求は、死亡で取り下げられた。

それなら、役員に相続があっても、妻子への影響はない。

これが法律的に問題がないか、は検証する必要がある。

                       

法的責任のある役員への請求は執行側・監査役の義務だ。

執行側が責任追及する場合に、経営判断の問題はある。

つまり、責任追及する場合に、裁量の問題は生じる。

裁量で、損害の全額を賠償させないことも考えられる。

                     

旧役員陣から、10億円の損害回復が可能でも、

1億円の賠償にする方が会社利益になることもありえる。

しかし、10億円の損害回復を上回る利益がなければ、

10億円の損害回復をすることが本来の職務だろう。

本来、回復できる損害を回復する義務があるからだ。                     

                   

旧役員の賠償額を温情で減額するのは危険である。

温情の減額は、「会社の利益にのため」でないからだ。

旧役員のためであれば、特別背任罪の疑いもかかる。

その意味では、法的判断は慎重に行う必要がある。

                      

まして、監査役が提訴する場合には、裁量は考えにくい。

監査役も会社利益の見地から、裁量の余地はあろう。

しかし、裁量をみとめられても、最少のものでしかない。

損害回復できるのにしないのは、職務違反が原則だろう。

               

「身ぐるみはがすのは可哀そう」

旧役員に法的責任があれば、これは法理論では通用しない。

同様に、役員に相続があったら、取り下げるのは疑問だ。

           

私としても、情として忍びないという気持ちは分かる。

しかし、法理論はどうかを慎重に検討すべきである。

法的責任自体明確ではなく、道義的責任を取る。

そういう和解であれば、金額の少ないのは理解できる。

また、相続が開始した役員への取り下げも理解できる。

                 

三菱重工の和解と取り下げを原則と考えるべきではない。

同社事件における特殊事情が反映した事例と捉えるべきだ。

法律の解釈や事実認定に情が入ることはある。

解釈と事実認定で法的責任がある場合はそうはいかない。

法律が適用される場合には、厳しさがつきまとうものである。 

                     

内部統制の法律規律では、法的責任追及は峻厳になる。

特に、経営陣の法的責任に情の入る余地は少なくなる。

不祥事の際の従来の経営陣への温情が不祥事の根っこ。

そういう背景が、内部統制の法律規律にはあるからだ。

              

「身ぐるみをはがされる決着」が原則である。

その意味では、今後の役員の責任追及のモデルは、

足利銀行事件の和解にある。

                

足利銀行事件の和解を国有化の下での特殊な事案。

そういう理解は危機管理を忘れた発想である。

同時に、企業が企業市民となる発想と異なるものだ。

                

このことを前提に、次回、妻子の相続を検討する。                      

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内部統制と妻子の相続問題その3

まず、役員の損害賠償責任は相続財産である。

賠償責任という消極財産も役員の妻子に承継される。

このことをまず、確認しておく。

                

役員の賠償責任の妻子の承継に関して、場合分けが必要。

役員責任の追及後の相続の場合が1つ目のケース。

役員の相続開始後に責任追及の場合が2つ目のケース。

この2つのケースでは、妻子への影響がまったく異なる。

             

1つ目のケースから説明する。

役員責任の追及の途中で、役員に相続開始の場合だ。

この場合には、相続人である妻子に逃げ道がある。

少なくとも、妻子の固有財産は救われる方法はある。

             

このケースでは、妻子には、選択の余地がある。

相続が開始した役員の相続財産の承継をするか否かについて。

役員の相続財産が多く、役員の賠償責任が怖くない場合。

この場合には、役員の相続財産を全面的に承継すればよい。

                 

それによって、不利益を受けることはないからである。

すでに、責任追及されている案件だけで終わればの話だ。

相続開始後に、別の責任追及をされる場合はないか?

この場合には、2つ目のケースの問題もでてくるわけだ。

                  

通常、請求されている損害賠償額は相続財産よりも大きい。

訴訟で役員側が勝訴する場合なら金額は考えないでいい。

しかし、訴訟は水物であり、100%勝訴という保証はない。

したがって、敗訴する場合に備えるのが安全である。

                    

妻子に固有の財産がある以上、選択肢は決まる。

選択肢として、限定承認と相続放棄がある。

相続放棄も一つの方法であるが、デメリットがある。

訴訟で役員側が勝訴した時に相続財産を得られない点だ。

相続放棄をすると、法的に、相続人でなくなるからだ。

              

その結果、限定承認の選択肢しかなくなる。

限定承認は、妻子の固有の財産を守る制度である。

役員側が勝訴したら、妻子は相続財産を得られる。

相続財産が役員の賠償額を上回った部分も得られる。

                      

片倉工業事件では、被告役員の妻子が限定承認をした。

一審、控訴審ともに、被告役員側が敗訴した。

ところが、最高裁で訴えの取り下げがあった。

そのため、役員の妻子は、相続財産をえられた。

                                                

ただ、限定承認する場合には、税金問題は注意を要する。

限定承認の場合には、相続税ではなく、譲渡所得税。

限定承認の場合には、弁護士に相談だけでは足りない。

弁護士の他に、税務専門家に相談が必要だ。

                       

つぎに、2つ目のケースである。

役員責任の追及のない状態で、相続開始のケースである。

通常、このケースでは、妻子が相続財産を承継する。

その後に、役員責任の追及があるのがこのケースである。

                     

このケースでは、限定承認や相続放棄ができない。

民法に、限定承認、相続放棄の期間制限があるからだ。

民法915条1項がそれである。

              

自分のために相続開始があったことを知ってから3ヶ月。

3ヶ月以内に限定承認、相続放棄をしなければならない。

自分のために相続開始があったことを知った時はいつか。

従来の最高裁判決だと2つの要件となっている。

             

1つは、被相続人(役員)が死亡したことである。

もう1つは、それによって自分が相続人となったことである。

要は、上記2つのことを知った時になる。

通常の役員の相続の場合、妻子は2つのことは知っている。

           

役員死亡後、3ヶ月超の期間が過ぎたら、アウトである。

つまり、限定承認も、相続放棄もできない。

そうだとすると、役員を相続した妻子に悲劇が生じる。

損害賠償額が相続財産を超えるばあいである。

              

その超える部分について、妻子の固有財産からの賠償。

これが理論的帰結だからである。

役員の責任と関係ない妻子が可哀そうだ。

そういう声が聞こえそうだ。

         

類似の事態は、別の巨額の賠償責任の相続でも起こることだ。

それと対比では、役員の賠償責任だけ可哀そうとはいえない。

そういう反論が、民法学者からでてくるだろう。

それでも、何とかならないか。

           

「知った時」の起算点を、役員責任の追及時にできないか。

そうできれば、役員責任追及を知ってから3ヶ月以内。

この期間内であれば、限定承認、相続放棄ができる。

また、915条1項但し書きで、3ヶ月も伸ばせる。

そうなれば、役員責任追及について調査することもできる。

                 

相続開始後の巨額の役員責任の追及は予測外である。

そのため、知った時の起算点を損害賠償請求時とした。

そう私は解釈して論文を書いた。

この点については、長文になるので、次回とする。         

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内部統制と妻子の相続問題その4

役員の相続後の責任追及の場合を前回に続いて書く。

この場合に、原則として、限定承認・相続放棄が出来ない。

ただ、昭和59年の最高裁判例は、例外を認めている。

起算時期を後ろに下げて救済する場合を認めている。

                    

前記最高裁判例は、例外の要件を3つあげている。

3ヶ月以内に、限定承認等をしなかったことに関する。

①相続財産がまったく存在しないと信じたこと

②相続財産の調査を期待することが著しく困難な事情

③①について、そう信じることに相当な理由があること

                  

この例外要件は、厳しすぎるように思われる。

役員の相続の場合、相続財産がゼロはありえないからだ。

判例は、相続関係の早期確定を図ることを重視している。

相続関係の上に、多くの法律関係が構築されため、

法律関係の安定性を図る必要があるからだ。

                      

その基本的考えは理解できる。

しかし、相続時に予期しえない巨額な責任の承継を

役員の妻子に強制することは酷に過ぎる。

                

法的には、相続人となったことを知っているから、

相続財産の調査をすることはできる。

でも、実質的には、役員の責任の追及があるまでは、

そのことを知らないから、調査の機会がないに等しい。

              

私は、最高裁の例外の趣旨を調査機会ない点に置き

相続財産のないこと、それを信じた相当の理由を 

調査機会を期待できない現れと捉え直した。

       

そこで、役員の相続後の場合は、責任追及では、

実際上、調査を期待することが困難であるとして、

期間の起算点を後ろにずらす考えをとった。

                

学説の中にも、起算点を「相続財産の全貌を知ったとき」

と解釈する立場もある。

従来の高裁判例に、起算点を柔軟に考えるのがある。

            

ところが、最高裁の平成13年判決が出てきた。

この判決は、厳しい基準ををもつ昭和59年判決が

確認された結果となった。

そのため、その後の下級審判決は厳しい立場になった。

              

今回は、判例の傾向を指摘するにとどめる。

次回、打開策がないか、を検討したい。

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内部統制と妻子の相続問題その5

前回、平成13年の最高裁の決定を述べた。

昭和59年最高裁の厳しい例外基準の肯定である。

その後、下級審は、この厳しい基準を適用している。

最新の最高裁決定に従うほかないからである。

                               

では、ほかに、妻子の救済手段はないのか。

1つは、家庭裁判所による救済が考えられる。

限定承認等をするには、家庭裁判所に申述が必要だ。

家庭裁判所は熟慮期間についても審査する。

             

その審査が緩やかであれば、妻子は救済される。

従来、緩やかな基準で限定承認等を認めた例がある。

しかし、家庭裁判所は最高裁判例を無視できない。

緩やかな審査基準での運用は平成13年以前のもの。

               

最終的には、家裁は厳しい審査基準に立つ他ない。              

その結果、妻子の救済は期待できないことになる。

役員の相続人である妻子の固有財産の危機である。

             

元に戻って、提訴権限がある監査役に裁量権はないか。

様々な要素を考慮して提訴しないことはできるか、である。

この点については、否定説が有力である。

                 

権限が、取締役の損賠賠償責任の追及に限定され、

裁量を予定しているとは言いがたいからだ。

                

調査をした結果、責任追及の根拠が十分でない。

こういう場合には、監査役は提訴しないことができる。

勝訴の見込みのないのに、提訴義務は生じないからだ。

               

その反面、証拠が十分であれば、監査役は提訴義務がある。

しかも、会社の最大利益ため、損害回復を図る義務がある。

その趣旨から、妻子が可哀そうだという情緒は許されない。

法律は、この点、峻厳である。

         

妻子が限定承認等できず、固有財産がある場合は悲劇だ。

会社の損害回復のため、固有財産から賠償することになる。

いろいろ模索したが、法理論上、妻子を救済できない。

それでも、実務は、何とかして妻子救済に向かうだろう。

                               

それは尊い努力であるが、法律的にリスクがある。

そのリスクのため、二次的責任問題も考えられる。                 

そうなると、次なる悲劇を生じさせかねない。

              

それらの悲劇を防ぐには、内部統制の充実しかない。

取締役の責任の予防こそ、悲劇防止の中核なのである。  

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長寿企業となる条件 その1

今回から、長寿企業となる条件を考えてみたい。

最近の日本経済の衰退は、長期的視点の欠如にある。

そのように思えてならないからである。

この長期的視点を企業に導入すると、長寿企業となる。

                     

経営に、恒久的成長という視点を導入したらどうなるか。

企業の恒久的存続という視点と置き換えても良い。

このような視点で経営すれば、不祥事は起きない。

                                   

恒久的視点がある企業は、それだけにとどまらない。

そのような企業は、社会的信頼も得られて成長する。

まさに、コーポレートブランドを確立した経営となる。

                  

弁護士である私が、長寿企業の条件を考えるようになった。

それは、なぜか。

                     

法律問題の解決に役に立つのが従来の弁護士の業務だ。

法律問題の解決だけで、企業の成長に寄与できるのか。

そこの点に、疑問をもった。

              

確かに、法律問題の解決に関して、企業の役には立つ。

それだけのことだと、満足感が低いのも否定できない。

もっと、積極的な役立ちの意義を見出したい。

                                  

企業の存在理由とのつながりが明確にならないからだ。

ある意味では、自分の仕事に根っこがない感じなのだ。

企業全体の構造の中での位置づけがはっきりしない。

そういう不安でもある。

               

その結果、経営全体の構造を考える必要がでてきた。

その中に、弁護士の位置づけと役割を認識できるからだ。

その結果、たどり着いたのが、恒久的成長の視点である。

                

一時的に輝く企業は多数ある。

しかし、長期間にわたって輝き続ける企業は少ない。

社会が求めているのは、長期的に輝く企業である。

そのことから、恒久的成長という視点が出てくる。

                    

この恒久的成長の視点から何が出てくるのだろうか。

それを考えるための素材として長寿企業を取り上げたい。

長寿企業は人間の平均寿命より長い寿命を持っている。

創業100年を超える企業を長寿企業として捉えよう。

                    

次回以降、この長寿企業のことを考えたい。

                    

             

               

                  

                  

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長寿企業となる条件 その2

長寿企業をどういう視点で考えるか、は重要である。

成長という視点で捉えると、企業の存続が重視される。

恒久的成長という視点になると、企業の存続では足りない。

                 

長期的視野に立てば、長い時代の変化への適応は難しい。

その難しさを考慮すれば、企業の存続を中心にすべきだ。

このような発想は現実的であり、無難かもしれない。

         

恒久的成長だと、いかなる時代でも成長する必要がある。

それを理想とするのはよい。

ただ、それが実行可能かという疑問も生じうる。

                     

疑問あるところに、自信を持った経営はできない。

自信のない経営では、理想は実現できない。

                

天才的経営者が連綿と続けば可能ではあるが。

そうでない経営者でも実現できることが望ましい。

長期的な視野からすれば、並みの経営者もいるだろう。

そこで、企業の存続を企業の目的と捉えることになる。

                    

恒久的成長を企業目的とすると、哲学的となる。

あるいは、宗教的となる、と言い換えることもできる。

恒久的成長という高い理想の実現を目指すからである。

人間として、信仰に近い信念、覚悟が必要だからである。

               

ジョンソン&ジョンソンは、恒久的成長を目指している。

同社の経営理念を制定した経営者がそう言っている。

同社の経営理念は「我が信条」として示されている。

制定者は、三代目社長のジェネラル・ジョンソンである。

             

ジェネラル・ジョンソンは次のように言っている。

(鳥飼重和著「豊潤なる企業」清文社、225頁参照)

                           

「人々は本物の経済的貢献と社会的価値を生み出す企業

のみが成功する権利を持つということを知り、

それを確信してしまった。

   

恒久的な成功は、より高尚な企業哲学を遵守していく

ことによってのみ可能となる。」

            

ジョンソン&ジョンソンは、恒久的成長を求めている。

それゆえに、「高尚な企業哲学」が必要となる。

この高尚な企業哲学が、「我が信条」に他ならない。

しかも、理想を実現するため、実践的でなければならない。

                     

そのため、「我が信条」には実践的要素が組み込まれる。

この点は、いつか説明しよう。

同社は「我が信条」の実践の結果、恒久的成長を実現する。

その成果を次に掲げよう。

          

売上高 連続 74年間 増収

利益  連続 23年間 増益

配当  連続 44年間 増配

株価時総額 世界の11位(2006年末)

(前著・224頁参照)

                

同社は1982年に、企業存続の危機に見舞われる。

タイレノール事件であり、このため、莫大な出費をする。

この危機を乗り越えた後、23年間連続の増益なのである。

この危機を乗り越えたのも、「我が信条」に実践性による。

                          

このような恒久的成長を考慮することは重要である。

ただ、それには、相当な覚悟が必要である。

したがって、普通の企業では、そのことは困難を伴う。

               

そこで、企業の存続を前提とした長寿企業の条件を考える。

まず、次回以降は、この点について述べることにしたい。

                            

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CEOのその発言、おかしくありませんか

昨日の日本経済新聞の夕刊に、気になる記事があった。

マクドナルドの「賞味期限切れ使用」という記事である。

フランチャイジーの4店舗での不祥事である。

売れ残ったサラダの調理日時の偽装等をしたという。

                  

マクドナルドは、この偽装等を内部情報から知ったようだ。

内部情報を放置せず、調査して公表した点は評価できる。

それを放置すれば、後日発覚した時は隠蔽となるからだ。

               

ただ、この記事で、つぎのCEOの発言が気になった。

「サラダの調理日時ラベルは当社の自主基準で、

張り替えが食品衛生法に抵触する恐れがなかった

ことなどから、発表しなかった」

               

この発想は、内部統制的にいえば、おかしい。

社内の自主基準は社内規程とされているはずだ。

社内規程を守らないことは、内部統制上の重大問題。

そういう認識があれば、法令違反がなくても公表が必要だ。

                    

CEOの発言は、古いコンプライアンスの考え方に基づく。

食品衛生法に反しないから公表は不要だという発想。

それは、「法令遵守」をコンプライアンスと考える発想。

今の社会が求めているコンプライアンスは「法令等遵守」。

                     

つまり、「等」の中に、社内の自主基準が含まれている。

法令だけでものごとを考えるのは、時代に適合しない。

このことは、不二家事件で学習していなければならない。

(鳥飼重和著「豊潤なる企業」清文社、44頁参照)

               

社内の自主基準は、社内だけの問題ではなくなった。

社内の自主基準は、社会的・法的問題なのである。

(前掲書51頁で、法的問題だと指摘している)

               

これこそ経営者が理解すべき内部統制の発想である。

                

法令違反は公表対象、自主基準違反は公表対象でない。

こういう発想は通用しない時代になっている。

企業は社会的責任の意味を具体的に理解すべきだ。

上記の記事から、そのことを言いたくなった。

                 

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モリテックスでの総会決議取消の意味

モリテックスの株主総会決議が東京地裁で取り消された。

上場企業での会社提案の役員選任決議の取消しである。

対立型株主総会の本格的到来の時代を象徴する。

                       

本年度のほとんどの株主総会は平穏であった。

経営者と株主とのコミュニケーション型株主総会である。

ただ、本年度の株主総会では、対立型が目立っていた。

大株主と経営陣の対立、投資ファンドの株主提案である。

                

モリテックスの株主総会は、典型的な対立型総会であった。

創業者・IDED 対 現経営陣 との対立した総会である。

創業者・IEDC側が21%の株式を保有し、株主提案をした。

               

個人株主比率が 67.2%である。

両者の対立の勝敗は、個人株主が決めることになる。

そのため、委任状勧誘合戦が行われた。

                

今回の判決は、この委任状勧誘に関するものである。

判決は会社提案の役員選任議案の決議を違法とした。

その理由は2つある。

          

1つは、会社が株主にクオカードを配布した点である。

議決権行使の促すために500円のカードを配った点だ。

その際、ハガキに次のような文章が書いてあった。

                  

「会社提案にご賛同のうえ、議決権行使をしてほしい」

                 

これが法が禁止している利益供与になると判断された。

「権利の行使に関し、財産上の利益を供与」

という条文に該当したと認定されたわけだ。

                 

会社側は、従来の利益供与についての射程を狭く見た。

金額が小さいし、供与の相手が総会屋・暴力団でない。

だから、従来の判例なら、違法とされるはずはない。

そう判断したのだろうと思われる。

                 

時代の流れを甘く見た、そう思えてならない。 

私は、法律が活火山化してきていることを強調してきた。

ここ数年のセミナーや「豊潤なる企業」で強調してきた。

法律が法律として、厳しく適用されることを述べてきた。

                       

それが分かっていれば、利益供与を疑われることはしない。

議決権状況から経営陣が苦しい立場にあることは分かる。

それゆえにこそ、違法なことを起こしやすいリスクが高まる。

そういうときこそ、危機管理の出番なのである。

               

モリテックスは危機管理に失敗した可能性がある。

対立的なときは訴訟に発展する可能性がある。

そのため、新しい時代の流れを考えて慎重にすべきだ。

                       

もう1つは、会社提案議案の採決での計算方法である。

IDEC側の委任状を採決の集計で分母に入れなかった点。

判決は、その委任状を採決の母数に参入すべきだとした。

また、それを会社提案の反対として取り扱うべきだとした。

                       

会社側は、条文の形式を盾にとった。

その委任状に会社提案の賛否の欄がないという理由だ。

これは、委任状勧誘する株主には無理な要求だ。

株主は、招集通知を受けるまで会社提案を知らないからだ。

                 

裁判所は、委任状勧誘の公平を考慮した。

その結果、条文を形式的に適用しなかった。

やはり、会社側に焦りがあったのだろう。

やり方がやけに強引過ぎる印象がある。

                     

裁判所は、いつまでも会社側の味方ではない。

市場の重要性を裁判所は理解しようとしている。

委任状勧誘でも会社側に立つとは限らない。

                      

委任状勧誘は、今までの実務の想定外の新しい問題である。

この新しい問題を過去の実務経験基準で判断するのは危険。

そのことを今回の件は教えている気がする。

                  

この地裁判決が確定すると、別の新しい問題が生じる。

ここでは、そのことに触れないでおく。

従来の実務の想定外の問題領域だからである。

                

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長寿企業の条件 その3

このごろ、時間に追われて、ウィークリーが書けない。

そこで、少しづつでも、書いていこうと思う。

久し振りに、長寿企業の条件を書くことにする。

               

一橋大学大学院の舩橋教授の考えを紹介しよう。

長寿企業に共通する3つの条件をあげておられる。

   

1つは、厳しく法令等の遵守をすること。

2つは、経営者は襷をつなぐ駅伝ランナーの意識を持つ。

3つは、「三方良し」という社会的責任を持つ。

以下、順次、説明する。

             

1つ目の、法令等の遵守について説明する。

江戸時代の法令は諸々の法度として定められた。

商人がその法度に違反した時ノペナルテは厳しい。

死罪あり、全財産の没収あり、と厳しい。

                

そのため、法度という法令等遵守はしっかり守ろうとした。

法令等遵守の遵守は店の存続の必須条件だったのである。

現在の法令は、江戸時代ほど、厳しくない。

その結果、法令等の遵守にそれほどの厳しさはない。

                     

最近の不祥事は法令違反のオンパレードである。

江戸時代のように、財産没収だったらどうであろうか。

最近のように法令違反が多くなることはないだろう。

会社の全財産を没収されるなら、談合をする会社はない。

                        

法令遵守の実効化のため、責任の厳格化が登場する。

現実に、現在には、その傾向が出ている。

法令刑を重くしているのも、その傾向をしめしている。

また、経済犯罪でも、実刑判決も出ているのも同様だ。

                

内部統制に関する法律規律は、その傾向を決定づける。

この両法律は、経営者の無責任体制の除去を狙っている。

経営者の法的責任の現実化のリスクは高くなる。

その分、経営者の緊張感は高まっていくことになる。

          

今回は、このぐらいにしておきたい。

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拓銀の最高裁判決から思う

1ヶ月以上、鳥飼ウィークリーを書かなかった。

「ウィークリー」の名に値しないことである。

忙しいことを言い訳にすることはできない。

ただただ、恐縮するばかりである。

                

拓銀訴訟「旧経営陣101億円賠償確定」

平成20年1月28日付日本経済新聞夕刊の見出しである。

これは、拓銀訴訟の最高裁判決の報道記事である。

                    

この最高裁判決は、札幌高裁の判決を破棄している。

札幌高裁は、一部、取締役の法的責任を否定していた。

その札幌高裁判決を覆し、取締役の法的責任を認めた。

                     

最高裁は、取締役の法的責任を重くする方向になっている。

昨年の蛇の目ミシン工業事件を想起して欲しい。

その最高裁判決から取締役に厳しい判断の流れが見えた。

今回の最高裁判決は、その流れの中にある、そう思える。

           

私は、今後の役員の法的責任は厳しくなると指摘してきた。

私の著書「豊潤なる企業」43頁以下を参照されたい。

                  

役員の法的責任の厳しさの背景は、何か?

最も大きな点は、社会意識の変化にある。

最高裁判所は、社会常識で判決を考えるからである。

              

コンプライアンスの中に、社会意識が入ってきている。

そのことが、社会常識を基礎にする司法判断に入る。

その結果、従来と異なる裁判所の判断となって反映する。

                

現状では、社会の役員に対する目は厳しい。

自己保身に走る役員を許せない。

そのように、社会の常識は考えるようになった。

司法の判断が役員に厳しくなる必然性がある。

                

今回の拓銀訴訟の最高裁判決の射程距離は広い。

この判決を、金融機関特有のものと考えてはならない。

他の事件でも、役員の法的責任は厳しくなる。

特に、上場企業では、予想外に厳しいはずである。

                

内部統制の法律規律が背後にあれば、尚更である。

内部統制の規律は、経営者の法的無責任を認めないからだ。

           

だからといって、経営者は萎縮する必要はない。

まともな経営判断で、厳しく責任を問われることはない。

今まで放置されてきたひどい事例の責任を問われる。

そう考えるのが正しいだろう。

               

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蛇の目ミシン、583億円判決から時代を読む

久し振りに、鳥飼Weeklyを書く気になった。

蛇の目ミシン工業事件の高裁判決が出たからである。

平成18年4月10日の最高裁判決を受けたもの。

                  

丁度、昨日、月刊ビジネス法務の原稿の校正をした。

「企業法務この10年 取締役の責任」である。

時代の流れの象徴が蛇の目ミシンの最高裁判決だと書いた。

この原稿の校正を終わった時、高裁判決の情報が入った。

                    

蛇の目ミシン事件の一審と二審は取締役側勝訴であった。

前述の最高裁は、取締役敗訴とした。

取締役勝訴→取締役敗訴が時代の流れを象徴する。

取締役の責任が厳しくなる、これが時代の流れである。

                    

この流れが、583億円の賠償責任額に現れている。

高裁判決が確定すると、どうなるか。

足利銀行事件の訴訟上の和解を想起すべきである。

              

100万円の生活費を超えた財産を賠償に充てる。

これが足利銀行事件での訴訟上の和解だった。 

「身ぐるみがはがされる」ということである。

                       

同じような判決が、今年1月18日の最高裁判決である。

旧北海道拓殖銀行事件に関する判決である。

元頭取らに、101億円の賠償責任を認めたものである。

     

それが最高裁判決で確定した。

そのため、101億円の賠償責任の執行が行われる。

元頭取達が可哀そうだ、と同情することはできない。

損害回復するために「身ぐるみはがし」が行われる。             

                

蛇の目ミシンと旧北海道拓殖銀行の2つの最高裁判決。

これで取締役の責任の厳格化の時代の流れができた。

その捉え方は、法律の立場からは正しくない。

法律的には当たり前で、厳しくなったものではない。

             

従来の判決が、法律の規定を素直に適用しなかっただけ。

つまり、法律の規定はあるが、休火山状態だったのである。

2つの最高裁判決は、法律を素直に適用しただけである。

最高裁判決は、「法律を活火山化」しただけである。

                  

この「法律の活火山化」が新しい時代のキーワードである。

法律の規定が法律の規定どおりに適用されるのである。

当たり前のことが当たり前になる、ということでもある。

従来が当たり前が当たり前でなかった時代だったのだ。

                

蛇の目ミシンの1審・2審と最高裁では、見方が異なる。

1審・2審では、恐喝された取締役を被害者と見た。

小谷に「狡猾かつ暴力的」に脅されたからである。

そのため、取締役に同情し、責任を否定した。

       

最高裁では、恐喝された取締役は加害者だとした。

犯罪を犯して、会社に損害を与えたからである。

そのため、法律に従って、責任があるとした。

               

法律的には、最高裁判決は筋が通っている。

上場企業では、暴力団関係者でも株主になる。

彼らが「狡猾かつ暴力的」に恐喝してくる。

それは、当然に予測できるはずだ。

          

そうであれば、恐喝に適切に対応する。

それが取締役の義務となる、と最高裁は言う。

具体的には、恐喝されたら警察に届ける義務がある。

               

義務を履行せず約1000億円の損害を会社に与えた。

取締役が会社の対する加害者であることになる。

その結果、583億円の賠償責任を負うのは当然だ。

どこにも、同情する余地はない、という判断である。

             

取締役の義務は、そんなに甘いものではない。

最高裁が言いたいのはその点である。

最高裁の判断からすれば、刑事責任があると見る。

判決を読むと、特別背任罪と利益供与罪である。

              

当時の検察庁が、なぜ立件しなかったか、疑問がある。

当時の検察庁は、経済犯罪の立件に熱心ではなかった。

そう思われても、仕方がないかもしれない。

          

当時は、上場企業・その経営者は、護送船団の中にいた。

立法・行政・司法が上場企業・その経営者を保護していた。

そのため、脅しを受けた上場企業の経営者は保護された。

これが立件されず、1審・2審で勝訴した背景である。

                

だが、旧北海道拓殖銀行事件では、潮目が変わった。

検察は、元頭取らを、特別背任罪で立件した。

札幌高裁では、元頭取らに実刑判決が下された。

上場企業の経営者を保護する立場を捨てたのである。

                 

本来自由のはずの内部統制に法律規律が入った。

会社法と金融商品取引法によってである。

この規律が入ると、取締役責任は厳しく追及される。

取締役に対して甘かった従来の常識が崩壊する。

                 

従来の常識の崩壊を告げたのが、最高裁判決である。

そう理解しなければならない。

             

今後の日本は、否応なく、市場重視社会となる。

その際、市場のルールとしての法律が重要になる。

そのため、眠っていた法律が目覚め、活火山化する。

この活火山化による噴火が最高裁判決である。

       

これから、新しい常識の基での社会が始まる。

好悪は別として、今後の社会では弁護士が必須の存在だ。

この現実に目をそらしたら、時代に適応せず、滅びるだけ。

「身ぐるみをはがされる」「実刑判決を受ける」も滅びだ。

                

弁護士を増加させるために、司法改革をしている。

司法試験合格者3000人計画はそのためである。

法律が活火山化した場合、3000人増加でも足りない。

それなのに、その減少を叫ぶ人たちがいる。

         

時代錯誤としか言いようがない。

弁護士の就職難という現状しか見ないからだ。

法律の活火山化という時代の流れを見ていない。

           

今回の最高裁判決から、時代のメッセージを読む。

これが重要である。

革命期の現在、新しい時代のメッセージを読む。

これは生き残りのために必須のことである。

        

私は、この時代のメッセージのことを書いた。

「豊潤なる企業」(清文社)である。

キリンビールの三宅占二社長から評価していただいた。

「内部統制の意義を知る上で最高の教科書だ」と。

             

ありがたいことである。

新しい時代の流れと取締役の責任、法律の活火山化。

知りたい方は、「豊潤なる企業」を読んでいただきたい。

                 

             

               

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野村證券インサイダー事件ー有効な対処を諸葛孔明から学べ

昨日、ある研究会で内部統制に関して、講義をした。

野村證券の従業員によるインサイダー事件を取り上げた。

この事件は、適切なコンプライアンス体制の下でも起こる。

これに対して、どう対処するかが問われる事件である。

               

不祥事が起きた以上、その原因の究明は必要だ。

システム上に原因があればそれに対応するればよい。

システム上に原因が発見できなれければどうするか。

システムの問題よりも、人の問題になる。

                

証券会社は、金儲けが商売の種となる存在である。

しかも、従業員に金銭的インセンティブで働かせる。

そのため、金銭に対する欲求が強くなる危険がある。

その危険と隣りあわせで経営をしている訳である。

              

欲ボケした人は、倫理の話を聞く気を持っていない。

倫理の研修を心の中でバカにしているはずだ。

その意味では、倫理研修には限界がある。

そこで、どうするか。

          

目に見えるようにして,会社の方針を伝えないといけない。

一種の見える化であり、実物教育である。

不祥事を起こしたらどうなるのかを具体的に示すのである。

つまり、不祥事の事後処理を徹底することだ。

       

刑事責任の追及に協力し、実刑判決を要望することだ。

同時に、民事責任を厳しく徹底して追及することだ。        

徹底して、会社の損害回復をはかるべきだということである。

その結果、破産に追い込んだとしても仕方がないのではないか。

       

非難を徹底するのに、同情は禁物である。                    

これは、法家の思想である。

          

倫理感が喪失している時には、これが有効である。

社内に厳しい責任追及の経過を報告すること。

危機感を持ってもらうには、これも重要である。

                  

経営者の責任は、再発防止の実践に尽きる。

記者会見で、「個人の問題」という発言は不適切である。

言外に、「自分に責任がない」という無責任発言である。

この発言に、再発防止をする意思は示されていない。

                    

経営者は、再発防止の結果責任がある。

個人の問題でも、言い訳は通用しない。

現実に、不祥事が起きないようにしないといけない。

個人の問題の対象は、アメとムチと使命しかない。

             

即効性があるのは、アメとムチである。

使命感を持たせるのは、もっとも有効である。

しかし、長期間かかることである。

           

インサイダーへの対処は、アメではむりだ。

アメをなめたいために起こす事件だからだ。

やはり、法家思想のムチで対処するしかない。

           

軍律を確立するには、単純なものが最適である。

「死罪」のみである。

中途半端はいらない。

        

諸葛孔明を思い浮かべるといい。

軍律を確立するため、何をしたか。

軍律違反をした後継者を斬首にした。           

「泣いて馬謖を斬る」である。

             

以上のように、法家の発想を紹介した。

しかし、長期的には、使命感を持たせることを勧めたい。

使命感は、経営理念に埋め込まれている遺伝子である。

したがって、使命感の教育は経営理念の教育である。

          

日常業務に経営理念を埋め込むことだ。

つまり、経営理念を意識した日常業務にすることだ。

これが実践できれば、長期的成長に基盤ができる。

経営理念を体得すれば、コンプライアンスは十分である。

                 

このことを言っていたのが、松下幸之助翁である。

社会的責任を果たすのが自由競争だと喝破した。

そのため、社会的使命である本業を重視する。

それを達成するのは人材育成だと見抜いた。

           

システムではなく、個人に経営の基盤を置いた。

個人の問題こそが経営の基盤と考えたのだ。

企業は人が動かし、人が盛衰を決めるのを知っていた。

経営の神様といわれる所以である。

             

人材育成の処方箋も教えてくれている。

まず、正しい経営理念を持つことが必要。

経営理念に競争の源泉である社会的使命があるからだ。

           

モノ、カネ、情報より重要な経営資源が社会的使命なのだ。

志という人間の思いを実現するのが経営の真髄なのである。

この万古不変の原理原則を経営の秘訣としたのである。

経営学の限界を超えた人間学に経営の基礎を置いている。

                    

つぎに、経営理念に対する経営者の自覚が必要となる。

企業の真の使命は何かについて、経営者は自覚する。

それがないと、経営に土台がないことになる。

まさに、砂上の楼閣となり、企業は崩壊する。

         

さらに、常時、従業員に経営理念を訴え続けることだ。

これが人材育成の最大のポイントだとされる。

これなしに人材育成はできないと断言されている。

                    

この人材育成を、システムに組み込んでいる会社がある。

ジョンソン&ジョンソンである。

74年間連続、売り上げ増、44年間連続、増配。

(2006年末まで)

これを実現している会社である。                       

          

その秘訣が経営理念である「我が信条」の実践である。

それを日常の活動に組み込んでいるのである。

経営理念による人材育成をシステム化しているのである。

(詳細は、私の著書「豊潤なる企業」清文社を参照)

          

野村證券インサイダー事件にも適切な対処法がある。                  

                           

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お詫びと衣替えのお知らせ

このブログは、数ヶ月休止状態であった。

私の怠慢であり、お詫びするしかない。

              

全面的に中止しようかと思った。

ただ、時代の流れを解説する責任も感じている。

そこで、テーマを変えて、再出発することにした。

         

テーマは、「新聞記事等に見る経営・企業法務」とする。

なるべくなら、新聞記事の行間に焦点を当てたい。

そうすることで、時代の流れの認識、予測を書きたい。

              

物事の考え方は、つぎの3つであると思っている。

わが師としている故安岡正篤師の教えである。

1.本質的に見る

2.長期的に見る

3.多面的に見る

     

こういう視点から、新聞記事・雑誌等の記事を見て、

経営と企業法務(税務を含む)について考えを述べたい。

ときには、記事の紹介で終わることもあるかもしれない。

          

今度は、このブログの長期中断だけはしないようにしたい。

今後は、最低、月2、3回は、掲載をしたいと思っている。

見てくださる方に役立つブログを目指したい。

       

9月1日をスタート日とする。

気軽にアクセスしていただければ、幸いである。

              

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IHIに対する証券訴訟

平成20年8月9日付日本経済新聞の見出しである。

「『虚偽記載で株価が低落』

 奈良の株主

 IHIを提訴へ(注:これが大文であり見出しの中心」

                 

虚偽記載というのは、有価証券報告書の虚偽記載のこと。

平成19年9月中間期と平成20年3月決算期に関する。

プラント事業の損失約280億円を過少計上したのである。

         

株価の下落は上記の事実の公表による株価下落を指す。

IHIは、平成19年9月28日に虚偽記載を公表したが、

その結果、1ヵ月後には、株価が約100円下落した。

         

そのため、奈良の株主が証券訴訟を提訴する見込み、

だという記事になっている。

この記事には、この株主は公表前に5万株を購入した

とあり、金融証券取引法規定による提訴をするようだ。

           

IHIという会社に対し、無過失責任を追及し、自動計算

した金額を損害額として、請求するのである。

つまり、虚偽記載の公表の前後1ヶ月の最終終値の

平均株価の差額に保有株数を乗じた金額を請求する。

           

この記事では、345万円が損害額と算定されている。

平均株価の差額69円×保有株数5万株という算式。

1人の株主であれば、証券訴訟も、この金額で済む。

             

ところが、保有株数が増えると、そうはいかない。

提訴する株主数が増えると、保有株式数は増える。

大株主が加わると、保有株式数は増大する。

提訴保有株式数が1億株を超えると巨額になる。

          

提訴保有株式数が1億株だとすると、69億円。

IHIのような損害額で1億株を想定した場合の金額だ。

無過失責任で損害の証明が不要の金額なのだ。

     

これは現実的数字なのであろうか。

無過失で巨額の損害賠償を受けられる場合、

大株主は証券訴訟を起こさずに済むか。

これが最も大きなポイントである。

          

大きな損失を受け、それを容易に回復できる。

それなのに、上場企業である大株主が提訴しないで、

損害回復をしないことは難しい。

取締役の法的責任の問題になるからである。

             

このような提訴するかしないかの経営判断に

経営判断の原則を適用することは慎重さが

要求されると思われるからである。

          

受けた損害と提訴しないことで得られる損害。

この比較をした上での経営判断となろう。

受けた損害は明白だが、得られる将来の利益は明確か。

将来の株価の上昇が明確で損失は生じないといえるのか。

                 

原則的に言えば、相互持合いの大株主でも、証券訴訟は

提訴すべき可能性がある。

少なくとも、提訴しない大株主の経営者はリスクを負う。

リスクを確実に回避できる場合だけ、提訴しないで済む。

             

少ない株式でも集まれば、大株主以上の保有株数となる。

5~10年の期間で考えれば、この集合は時間の問題。

現に、IHIに対する証券訴訟の弁護団が結成されている。

「IHI粉飾決算被害株主弁護団」である。

        

この弁護団は、電話相談などで、提訴株主の数を増やし、

その結果、提訴保有株数を増加させようとしている。

この記事でも、相談窓口の電話番号を明示している。

その結果、一般株主の提訴するが増えるのは確実だ。

          

IHIに対する証券訴訟は、本格的な証券訴訟の幕開け、

となる可能性を秘めている。

西武鉄道事件やライブドア事件の証券訴訟は、

事件性が高いのに対し、IHIの場合はそうではないからだ。

             

まっとう企業でも、結果的に粉飾決算があっただけで、

巨額の賠償責任が容易に認められる可能性がある。

そのことを示すのが、IHIに対する証券訴訟である。

そのことを上場企業の経営者、企業法務は認識すべきだ。

           

新しい時代の流れは、大きな変化のうねりを伴っている。

その流れを正しく自覚し、それに適応する者が生き残る。

         

                 

 

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訴訟社会への足音が聞こえる

 最近の3つの記事を取り上げてみよう。

①「相場操縦 丸八証券前会長に実刑」

平成20年9月9日付日本経済新聞夕刊の記事である。

②「計画段階の住民提訴容認『事業不服』救済に門戸」

平成20年9月11日付日本経済新聞朝刊の記事である。

③「中部電、浜岡原発タービン事故で『逸失利益』日立に請求

  火力代替分 418億円賠償提訴へ」

平成20年9月11日付日本経済新聞朝刊の記事である。

まず、①で注目すべきは、経済犯罪での実刑判決である。

相場操縦の法定刑の最高は、特別背任罪と同じである。

つまり、法定刑の最高は懲役10年である。

最高刑10年の経済犯罪は、実刑判決が多くなるだろう。

 

旧北海道拓殖銀行事件で札幌高裁は、旧頭取達を実刑に。

有価証券報告書虚偽記載罪の最高の法定刑は懲役10年。

市場重視の今後、経済犯罪で実刑が多くなると予測できる。

ライブドアの堀江元社長も宮内元取締役も、高裁でも実刑。

           

堀江元社長が実刑になるのは出る杭だから打たれたのだ。

そういう捉え方をする意見がある。

この考え方は、伝統企業の経営者は実刑などにならない。

という従来の護送船団構造という甘い考えを基礎とする。

                 

市場重視の傾向は日本が生き残るための時代の流れである。

その流れから捉えるとどうなるのか。

堀江元社長だろうと、伝統企業の社長であろうと同じ。

市場社会に看過できない害悪を与えた場合には、実刑だ。

     

時代の変革期において従来の常識を変えないで済まそう

とするのはリスクが大きいと考える必要がある。

リスクを回避するには、素直に時代の流れを知ることだ。

そして、時代の流れに適応する考え方に立つ必要がある。

          

今後の経営あるいは企業法務は、経済行為が実刑となる。

そういう場合があることも肝に銘じておく必要がある。

 

②は、最高裁の大法廷判決である点で注目に値する。

裁判官15人全員が結論を支持している。

住民の立場に配慮し、事業計画の住民意思を無視しない。

土地区画整理事業も民意=市場重視につながる発想である。

         

裁判所は、官僚統制から民意重視に変わっている。

住民提訴に関する門戸に救済実効性の観点が加わっている。

従来の仮換地指定後の提訴では、救済の余地はないからだ。

従来は、形だけの門戸で、実際の救済を視野になかった。

        

司法(裁判所)が実効性の観点を入れると、常識が変わる。

従来は法律の建前を重視したが、今後は実効性重視となる。

建前重視は、行政優位・産業優位が基礎にあったからだ。

実効性重視では、住民・消費者・投資家の保護となる。

同じ事例でも、従来と今後は、裁判所の出す結論は違う。

つまり、従来の経営・企業法務の常識は大きく変わる。

この大法廷判決の法的射程距離は企業法務に及ばない。

この判決の発想は、企業法務を実質的射程距離内とする。

          

③の記事も、従来の経営・企業法務の常識を変えさせる。

協力関係にある企業間での訴訟は異例ではなくなる。

企業への影響額が大きくなるほど、訴訟リスクが高まる。

それは、経営の背後に、物を言う株主がいるからである。

 

同時に、内部統制がまっとうに行われれば、社内でも、

物を言う存在が声を出すようになるからでもある。

その背後には、監査法人(会計監査人=監査人)がいる。

    

このいう環境は従来と大きく異なる経営環境である。

このような環境では、協力関係のある企業との間で、

経営に大きな影響を与える法律問題をナーナーで片付ける

ことは難しいことになる。

   

そのため、透明で公正な手続きである訴訟が選択される。

その可能性が高まる。

その際、問題として浮かび上がってくるのが契約書である。

協力企業との関係で将来において紛争が起きた時に備えて、

明確な契約書の締結がなされていたかが問われるのである。

 

契約書は、信頼関係だけで問題解決できるときは、

あいまいな条項があっても問題が現実化することはない。

未来の長期期間にわたる関係での貸し借りの約束によって、

長期的には相互に満足して問題を解決できるからである。

           

しかし、外部の目を意識し公正な解決かについて、

見張られる場合には、問題解決の公正を図るための

明確な条項がリスク管理の観点からチェックされる。

つまり、将来の訴訟を意識した契約書の作成が要望される。

             

その結果、従来と異なり、契約を締結する場合には、

法務セクションによる事前のチェックを内部統制として

仕組む必要もでてくる。

         

関連性のない3つの記事を概観すれば、従来の経営・企業法務に

意識の改革を迫っている点が共通している。

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恐慌が来たら、なおさら成長する!

最近の新聞記事を見ると、株価下落が目立つ。

リーマンブラザーズの破綻等による未来不安による。

昨夜、会食をした金融専門家は、以前から恐慌になる。

そのように予言をしている。

          

「恐慌が来たら、なおさら成長する」

この副題で、昨日、経営者向けのセミナーをした。

メインの表題は、「経営者に成長の原理原則を問う」

         

そこで、そのレジメの大項目と中項目だけを掲載する。

レジメの全部は、当事務所のホームページで公開する。

「掲載原稿」の「その他」の欄にである。

    

1 企業の成長と社会的責任

(1)自由競争とは何か

(2)社会的責任とは何か

(3)人材とは

(4)人材の育成法

(5)経営理念は最も重要な経営資源

(6)実例がジョンソン&ジョンソン

2 コンプライアンス概念の変遷

(1)従来は「法令遵守」

(2)現在は「法令等遵守」

(3)今後は「コーポレートブランド・社会的尊敬の確立」

  

参考になれば、幸いである。

           

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大恐慌を恐れる必要はない

「米、金融有事に政策総動員

  ドル信認喪失を警戒

     大恐慌を恐れる」       

これは、9月20日付日本経済新聞の見出しである。

           

リーマン・ブラザーズの破綻を受け、金融危機を回避。

そのための米政府の対応に関する記事である。

ボールソン米財務長官が渋るブッシュ大統領を説得した。

そのとき、長官が説得に使ったとされる言葉があるようだ。

     

「1930年代の大恐慌になすすべを知らなかった

フーバー政権の二の舞になってしまう。」

             

現在、世界大恐慌が囁かれ始めている。

こういうときこそ、経営者は経営の原点に帰る必要がある。

むしろ、大恐慌の時こそ、経営者の使命が問われる。

この点に関し、信越化学の金川社長は次のように言う。

        

「本当の成功とは、どんな厳しい時代にあっても、

利益を出し続けることです。

そのためには、強い体質の会社にしなければなりません。

それこそが経営者に求められている使命です。」

(「理念と経営」2008年10月号8,9頁)

              

信越化学は、13期連続最高益を更新しているが、

金川社長の力強い言葉の裏づけとなっている。

金川社長は、社長在任18年、本年82歳である。

              

恐慌の時でも成長することを目指している企業がある。

1930年代の恐慌を目の当たりにして、思索を重ね、

恐慌時でも企業は成長することができると確信した。

それを企業哲学として、現に驚異的成長を遂げている。

        

2007年末までの実績で、

75年間連続増収、24年間連続増益の企業がある。

その企業は、ジョンソン&ジョンソンである。

同社は、恐慌時でも成長することを目指している。

       

そのことを示す同社の3代目社長の言葉がある。

「恒常的な成功は、より高尚な企業哲学を遵守していく

ことによってのみ可能となる。」(同社のホームページ)

         

「恒常的成功」は、恐慌時でも成長することを含む。

「企業哲学」とは、同社の経営理念である「我が信条」

のことを指している。

                          

「我が信条」は、社会的責任を果たすことを宣言している。

経営者等が社会的使命を果たすことを宣言しているからだ。

同時に、それは、内部統制の宣言文ともなっている。

経営者中心の統制環境が具体的に示されているからだ。

           

「我が信条」は社会的責任及び内部統制の宣言書。

その詳細は、以下の私の著書を参考にしていただきたい。

「豊潤なる企業」(清文社が刊行)

「抄録版 豊潤なる企業」(内部統制研修用で鳥飼オフィスが販売)

        

米政府は、政府系のファニーメイとフレディマックを救済した。

政府機関債は中国等アジアが60%保有していること、特に、

中国が30%を保有していることを考慮したといわれている。

               

リーマン・ブラザーズは救済されず、AIGは救済された。

AIGが救済されたのは、同社が保証保険をしていることから、

同社を破綻させると、クレジットバブル崩壊の危機となるため、

それを回避するためだと言われている。

          

デリバティブ等の保証額は、6000兆円を超えるようだ。

デリバティブの世界が崩壊するとは誰も予想していなかった。

そのため、デリバティブの取引に安易に保証がついた。

保証した側は保証料による収益しか見えなかったのである。

        

保証がつく以上、資金余剰の経済状況の中では、

デリバティブの取引は容易に拡大する。

その結果、保証額も拡大し、クレジットバブルとなる。

     

この部分にクレジットバブルがあるとすれば、

その崩壊が大恐慌を招くのは必死であろう。

AIGを救済したボールソン米財務長官が、

「1930年代の大恐慌」を持ち出したのは、

クレジットバブルの発生を認識しているからであろう。

                   

先行きは不透明であるが、背後に、6000兆円を超える

クレジットバブルがあることを考えておく必要がある。

経営者は、大恐慌の恐れの中での経営であることを認識し、

それに備えた方策を考えておく必要がある。

           

経営者は、このような現状にうろたえてはならない。

恐慌のときにも成長する企業であることを信じて、

恐慌が来ても十分に対応できるようにしたいものである。

恐慌時の自社なりの課題と対応の回答は必ずあるものだ。

       

その回答は、企業の原点、創業の精神にあるはずである。

企業の基盤には社会があり、企業を支える顧客がいる。

その顧客は、恐慌時でもいるし、困っている程度は高い。

そこに商機があるはずである。

                 

石田梅岩ではないが、「富は社会の人々の中にある」

同時に、経営者・経営幹部・従業員は人間の特性を持つ。

人間として、無限の可能性をもち、思いを実現する力を持つ。

恐慌を乗り越えれると信じれば、信じたとおりの現実になる。

        

その意味では、社内の人間も無限の富を生む源泉である。

社会にも、社内にも、富が満ちていることに気づけば、

恐慌を恐れる必要はない。

必要なのは、恐慌を恐れる必要のないことを知ることだ。

             

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国の過失を厳しく批判する大阪高裁判決

「大和都市管財 詐欺訴訟

国の過失 厳しく認定

 大阪高裁 賠償増額15億円」

9月27日付朝日新聞朝刊の見出しである。

           

抵当証会社「大和都市管財グループ」に関連した

国家賠償請求訴訟に対する大阪高裁判決の報道である。

大阪高裁判決では、一審判決よりも、国側の過失を厳しく

認め、以下のように損害賠償額を大幅に増やしている。

約6億7000万円→増額→約15億6000万円           

             

この判決はどういう意味を持っているのか。

この点が、経営者や企業法務関係者には重要である。

結論から言えば、大阪高裁の判決は、国・企業<消費者

という価値観を基礎にしていることを理解すべきである。

従来の価値観は、国・企業>消費者だった。

                      

換言すれば、「官僚統制型社会観から、消費・投資等の

市場重視型の社会観へ」という時代の変化の現れである。

つまり、行政裁量よりも抵当証券の購入者の保護を重視し、

証券購入者保護のため、行政に厳しい要求をしたのである。

             

本件では、抵当証券会社の登録・更新に厳格さを要求した。             

ところが、近畿財務局は、その厳格な要求を満たさなかった。

そう大阪高裁は判断したわけである。

             

従来の行政が業者寄りであったことへの批判をする判決。

消費者保護を重視した行政であることが法秩序である。

そのことを確認した判決と捉えることもできる。

                

経営者、企業法務関係者は、法秩序の基本が大きく変化

している現状を理解しないと、リスク管理・危機管理対応を

誤ることになる。そのことに警告を発する判決として、

大阪高裁判決を理解すべきなのである。

           

法秩序の基本の変更は、法的に言えば革命というべきである。

法的革命が憲法改正なくして行われつつあるのが現状である。

それは反面、今まで、いかに、憲法をないがしろにしてきたか、

を証明するものであるともいえる。

          

今後は、憲法による「法の支配」が中心となり、法律を重視し,

「官僚という人の支配」を制約する時代へ移るだろう。

動きは錯綜するが、基本方向性はそう理解する必要がある。

         

この平成維新は、グローバル化による海外からの市場重視

の開国要求を背景にしている。

幕末の諸外国の開国要求を想起させられることである。

文字どおり、歴史は繰り返す、のである。

               

              

          

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583億円の賠償責任の確定の意味

経営者・企業法法務に関連する重要な記事を拾う。

「IHIを株主らが提訴

 『虚偽報告書で株下がり損失』」

9月30日付朝日新聞朝刊の見出しである。

   

提訴株主は、個人株主59人、法人1である。

提訴金額は、約6200万円である。

最初に報道された時は、提訴予定段階であり、

提訴予定者1人、提訴金額は345万円だった。

              

提訴予定段階で、弁護団が結成され、記者発表する。

それによって、弁護団に相談が舞い込み、提訴者が増える。

弁護士の提案型訴訟が増えることを予測させる記事である。

        

この記事には、弁護団の電話による受付を紹介している。

相談の日付・受付時間・電話番号が記載れてている。

その結果、さらに、訴訟に参加する株主数が増える。

これが第二次提訴となり、次第に本格的に集団訴訟化する。

             

IHIと同様な証券訴訟の集団訴訟化がセットされつつある。

アーバンコーポレーションに対する証券訴訟である。

9月21日付朝日新聞の朝刊の見出しは次のとおりである。

「アーバンコーポ株主らが提訴

賠償求め弁護団結成」

          

弁護団の結成が先で、その呼びかけで集団訴訟が後になる。

まさに、弁護士提案型、弁護士主導型の集団訴訟である。

日本社会は、次第に米国型の司法社会に近づく。

そのように予測させる新しい現実がでてきている。

        

この記事にも、集団訴訟に繋がる情報が記載されている。

説明会の日程と問い合わせ先の電話番号が載っている。

この記事を読む前記会社の株主には必要情報だからだ。

その結果、相談し、提訴に加わる株主が増加するだろう。

           

「旧経営陣583億円賠償確定

蛇の目株主代表訴訟」          

10月3日付日本経済新聞の小さな記事の見出しである。

最高裁が元社長らの上告等を認めなかったのである。

               

記事は小さいが経営者・企業法務へ与える影響は大きい。 

大和銀行事件で、大阪地裁は約830億円の賠償を命じた。

しかし、高裁で、2億5000万円で訴訟上の和解が成立した。

よって、今回確定した蛇の目ミシンの賠償額が最高額となる。

                

583億円の賠償額が確定すると、どのように執行するか。

元社長らが可哀そうだと同情して、できる執行を控えるのか。

会社の損害回復という法律問題に人情を入れるのは危険だ。

ここでは、経済合理性を重視した判断が要求される。

        

経営判断には裁量が認められるが、そのためには、

主として「会社のため」である必要がある。

元社長らが可哀そうだという人情は禁物である。

「元社長らという会社以外の第三者のため」となるからだ。

              

取締役が執行しない場合、どうなるのか。

監査役が執行することになるのか。

このような詰めた議論はこれから必要になる。

安易に、従来のようなナーナーの解決は困難である。

                         

すべて、法律の裏づけによって慎重に行う必要がある。

市場を重視する自由競争社会では、法律ルールの重視が

必要不可欠な前提になるからである。

       

その意味では、自由競争の前提となる法律ルールを

正確に理解しない企業は間違いなく衰退するだろう。

経営者にもリーガルマインドが必要な時代に入っている。

                                  

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恐慌時には、企業存立の理由を考えるべきである

「NY株1万ドル割れ

1時580ドル安、4年ぶり安値

世界株安に拍車

日経平均465円安」        

これは、10月7日付日本経済新聞朝刊のトップである。

日経平均株価も1万円を割る寸前まで下落した。

サブプライム問題が実体経済に影響を与え始めたためだ。

グリーンスパンFRB前議長は、1930年代の恐慌を意識

した発言をしている。

           

論者によっては、今回の問題はサブプライムではなく、

クレジットバブルで、もっと規模が大きいと指摘している。

現在の金融バブルを支えているCDSという巨額の保証の

システムの崩壊の危機が本質であると考えるからである。

          

CDSによる保証規模は6000兆円前後あり、その上に

サブプライムローン等の金融商品の市場が築かれている。

CDSが大きく毀損し始めると、金融市場が崩壊の危機に

さらされるが、現状はそこに問題の本質があるという。

つまり、クレジットバブルの崩壊こそが本質なのである。

                 

このような点は、私にはよく分からない。

しかし、実体経済に影響が出始めている。

しかも、今後、その傾向は強くなるようだ。

企業はそれに備え、それに適応しなければならない。

                

恐慌という企業の存在自体が危機にさらされる時期に、

「会社は誰のために」という議論は有用ではない。

むしろ、企業の存在に深く関係する事を考えるべきである。

それは「会社は何のために存在するのか」という点である。

つまり、会社の原点を考えることが企業の存続に繋がる。

             

石田梅岩の言葉に、つぎのようなものがある。

「富は社会の人々の中にある」

社会の人々から富を貰い受けるのを儲けという。

           

字源的には、「儲け」とは、「人」と「信者」からなる。

社会の人々が信者になることで、儲かるわけである。

つまり、社会の人々にある富を受け取る合言葉がある。

それが「信者」、つまり、信頼・信用というものである。

                

富の源泉である社会の人々からの信頼を築く。

これこそが商売の秘訣であることを教えている。

法令等に違反する企業に明日がないのは当然だ。

社会の人々は、そのような企業を信頼しないからだ。

         

社会の人々の信頼を築くには、どうしたらいいのか。

その1は、社会に迷惑をかけないことである。

これが、法令等に違反しないコンプライアンスである。

その2は、社会の役に立つことである。

これが、経営理念等で示される企業の使命である。

                  

この2つが守られれば、企業は社会の人々から信頼を得、

無限の富を与えられ、儲けることができ、永続し成長する。

これは、万古不変の商売の原理原則である。

恐慌になっても、これに従えば、永続と成長が保証される。

           

恐慌になっても、富の源泉である社会の人々はいるからだ。

恐慌の時は、社会の人々は安全や不安の解消を求める。

社会の人々が企業に役に立って欲しいことが多いものだ。

そのことが分かれば、企業は恐慌を恐れる必要はない。

     

企業が社会の人々の要望を発見し、それを満足させれば、

社会の人々は企業を信頼し、その信者となる。

その結果、企業に富をもたらし儲けさせくれる。

           

したがって、恐慌になる危険がある現状においては、経営者は、

会社存在の原点に立ち、社会の人々のことを考えるべきである。

そうすることが、企業の永続と成長への道を切り拓くことになる。

           

「会社は誰のものか」を考えて、株主を中心に考えて、

社会の人々(顧客等)を忘れるのは、本末転倒である。

社会の人々から富を貰い、儲けのパイを大きくしてから、

その大きくしたパイの一部を配分する先が株主である。

         

社会の人々があってこそ、株主への分配があるのである。

つまり、社会の人々が先であり、株主が後である。

企業の存立自体の危機となる恐慌の際にこそ、

このことを忘れてはならない。

     

しかも、企業の存立の基礎である社会の人々を考えれば、

自ずから、社会に迷惑をかけることを回避するようになる。

つまり、必然的に不祥事は防止する方向になるものである。

             

「会社は何のための存在するのか」を突き詰めると、

「会社は誰のものか」の本質も理解できるのである。

会社は株主のものではない、会社は社会のものである。

まさに、会社は社会の公器なのである。

社会の公器と人々が認める企業は永続し成長する。                

                                    

              

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1930年代の大恐慌 株価が 138ドルが4ドルへ 

「342銘柄が上場来安値

東証1部の2割 実体経済の悪化懸念」

これは、10月11日付日本経済新聞の見出しである。

        

上場来の安値なのであるから、上場について言えば、

振り出しに戻った感じである。

振り出しに戻った企業名が記事に載っている。

著名な企業も多く、「歴史的な安値」といえそうである。

             

今日の東証は値上がりするかもしれない。

だが、恐慌の恐れがある以上、中長期的に値上がり期待はできない。

1930年代の世界大恐慌のときに株の値下がりはひどかった。

その例を示すと、以下のとおりである。

  

         1929年9月3日      1932年7月8日

USスチール   262ドル            22ドル

GM         73ドル             8ドル

ATT        304ドル            72ドル

モンゴメリー・   138ドル             4ドル

ウォード

(ジョン・K・ガルブレイス著「大暴落 1929年」日経BPから引用)

               

上記の記録は、文字どおり、大暴落である。

現在の株価が「歴史的な安値」といわれても、大暴落の

歴史を知れば、そう簡単には買い場とは思えないだろう。

底値が見えるまで、なかなか思い切った行動は難しい。

       

「『景気悪化』94%に急増」

これは、10月6日付日本経済新聞の見出しである。

「社長百人アンケート」の結果を示した記事である。

国内主要企業の社長を対象にしたアンケートである。

         

国内景気の現状認識として、「悪化」を選んだのが、

93.5%だったという。

これは、6月の調査の3倍の数字のようだ。

  

株価が急落した後の10月3日の緊急アンケートでは、

金融危機で自社の経営に「すでに影響が出ている」

という回答が6割近かった、という。

             

金融危機の影響で景気が急激に悪くなっているのが分かる。                      

株価の下落が実体経済に影響を与え始めているのだ。

その証拠に、実際、電器・自動車等の売上が減少している。

この先、どこまで実体経済が悪くなるのかは、不透明である。

                

それにしても、米国政府は市場の信頼を得ていない。

金融安定化法が成立しても、株価は下落しているからだ。

米国の資本注入の「実行」によって信頼が回復するのか。

株価の暴落を見て、いかに信頼が重要であるかが分かる。

              

「義は利の元なり」という言葉の重さが分かる。

義=倫理は、利=儲けに繋がらないと思っている人が多い。

それは人間の本質を理解していないことによる誤りである。

義=倫理は利=儲けを生む源泉なのである。

                          

信頼を獲得しないで利益を得ることはないのである。

信頼を得るための義=倫理こそが、利を生むのである。

コーポレートブランドは、「義は利の元なり」を示している。

むしろ、恐慌のときこそ、義を立てることは信頼を生む。

             

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景気の悪化と経営者に必要な法務

昨日、「景気の悪化と経営者に必要な法務」という講義をした。

産業経理協会の「経営財務法務研究会」においてである。

上場企業の役員を対象にしたこの研究会を始めて9年目に入る。

当初の参加者は46名だったが、今では、170名になっている。

                

この研究会は、原則毎月開催で、年間11回開催する。

そのうち、6回は私が講義し、5回はゲスト講師が講義する。

昨日は、私が講義する番だった。

今回は時事的問題との関連で、経営者及び法務の観点で講義を構成した。

              

最近の経営で最も大きなテーマが金融危機による景気の動向である。

これ対し、経営者はどういう態度をとるべきかを中心に講義を展開した。

同時に、景気の悪化によって法務面でいろいろな問題が出てくる。

それに関して経営者は、どういう点を注意すべきかについて話をした。

           

サブプライム問題に端を発して、現在、金融危機に見舞われている。

その影響は自動車の大幅な売上の減少を典型例に、実体経済に及んでいる。

昨日・一昨日と株価は少しは回復したが、それ以前に株価は暴落した。

             

金融危機は去っていないし、実体経済の悪化はこれから本格化するだろう。

そうだとすれば、今後の景気は悪化することは間違いないと思われる。

不景気の程度・その期間は不明であるし、論者によっては恐慌になるという。

その意味では、景気の悪化の程度・期間は不透明なままである。

              

その意味では、企業の将来がどうなるかについて、関係者は不安であろう。

不況の程度も軽くはなく、恐慌の恐れを否定できない状況にあるのだから、

企業関係者の不安の程度は大きいと想像できる。

不安を取り除き、企業の存続と成長を確実にするのが経営者の役割である。

                     

では、将来の見通しが立たない場合に経営者はどういう態度をとるべきか。

荒波の中で安全な航海をするには、船長である経営者が、羅針盤を用いて、

安全に荒波を乗り越えられる、という自信を持った態度でいることが重要だ。

つまり、荒波を乗り越えるかどうかは、経営者の態度次第でなのである。

               

そのためには、経営者に迷いがあってはならない。

迷いを断って、安全な航海をするための明確な方針を立てる必要がある。

現状は恐慌になるかどうかは不明であるが、その可能性も否定できない。

かかる場合に安全を期するには、最悪を覚悟し、最悪に備える必要がある。

         

つまり、経営者は恐慌を視野に入れて、最悪の状態を想定するのが望ましい。

このように最悪を想定し、それに対応する覚悟を決めれば、迷いはなくなる。

つまり、このような状況では、経営者は覚悟を決める必要がある。

覚悟があれば、経営者は不透明な状態に捉われず、心の自由を確保できる。   

最悪を受け入れそれを乗り越える目標があれば様々な方法を工夫できるから。

                       

二宮尊徳は、覚悟がものごとを成就させる秘訣だ、教えている。

その要旨は、つぎのようなものである。

 

「覚悟、これが事をなす大本である。

この覚悟があれば、衰退した村を再興するのも、

落ちぶれた武士の家を再建するのも、非常に簡単である。

ただ、事をなすには、覚悟があるかどうかにかかっている。」

              

不況の克服に関して、有益な著作がある。

松下幸之助著「不況克服の心得10か条」(PHP研究所)である。

巻物風になっているもので、丁度、贈呈されたのがあった。

そこで、講義用のレジメで、この10か条を紹介し、私なりの解説を加えた。

          

覚悟を決めると、不況あるいは恐慌のチャンス面が見えてくる。

そういうときこそ、改善や発展のチャンスがあることに気づく。

経営者・経営幹部・従業員が人材に成長するチャンスでもあることがわかる。

このような観点から、現に長期間成長の実績を残している企業もある。

         

その典型例が、ジョンソン&ジョンソンである。

同社は、1929年以降の恐慌を教訓にそれに備える経営をしている。

すなわち、恐慌の時でも成長する企業を目指してそれを実現している。

その羅針盤となるのが、同社の経営理念「我が信条」である。

この点に詳細は、私の著書「豊潤なる企業」(清文社)を参照されたい。

                

さらに、この講義では、景気悪化の際の経営上の法務リスクに触れた。

業績の低迷から生じる法的リスクと株価下落による法的リスクを述べた。

役員の責任問題、インサイダー取引等の法令違反等を想定する必要がある。

さらに、株価下落による買収のチャンスとそのリスクの問題にも触れた。

             

最後に、不況・恐慌を克服するのは経営者次第であり、そのための仕組みが

経営者を中心におく内部統制であることを説明し、講義を締めくくったのである。

内部統制によるリスクの認識は、チャンスの認識を伴うものである。

内部統制の法律規律を正しく理解することは、企業の成長に有益なのである。

                                     

本セミナーのレジメを、当事務所のホームページの「掲載原稿」のところに

後ほど、掲載することにする。

何かの参考になれば、幸いである。

                                       

                         

                    

 

                 

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「マネー、マネー、マネー」と経営者・経理部門・法務部門・監査役

「『マネー、マネー、マネー』。

米ゼネラル・モーターズ(GM)経営陣の心境はこんなところだろう。

同社の最近の動きを追うと、なりふりかまわず金庫にキャッシュを

積み上げる姿勢が浮かび上がる。」

        

これは、10月21日付日本経済新聞の「一目均衡」における

「マネー、マネー、マネー」という表題の記事である。

この記事を書いたのは、編集委員 西條郁夫氏である。

                  

金融恐慌という異常なとき、あるいは、企業の危機のとき。

いかにキャッシュが重要であるかが明白となる。

「マネー、マネー、マネー」というの記事は、そのことを見事に示している。

この点は、日本企業の場合でも同じである。

           

ところが、日本企業では、キャッシュの重要性が理解されていない面がある。

「マネー、マネー、マネー」を認識した構造になっていないからである。

それが税金問題に典型的に現れている。

           

キャッシュを考えるときには、税金を抜きにはできない。

つまり、キャッシュ管理=税金管理というべき側面がある。

しかし、日本企業では、税金が重要だと認識されていない観がある。

税金について、ほとんど、リスク管理がされていないからである。

               

まず、税金の経営上のインパクトが理解されていない。

具体的例を示して、税金のインパクトの大きさを示そう。

税務のリスク管理を怠って払う必要のない税金を10億円払ったとしよう。

この10億円の税金は、いくらの売上高に相当するのか。

             

次のような計算式で、10億円の税金のインパクトを算定できる。

純利益率を2%として計算する。

  10億円(納税)÷2%=500億円(売上)

10億円の無駄な税金の納税は、500億円の売上喪失と同視できる。

                  

金融商品取引法の実務では、売上を内部統制対象としている。

そうであれば、500億円の売上に相当する経済価値のある納税額

についても、キャッシュ管理の面とリスク管理の観点から、

当然、内部統制が考慮されてしかるべきではないのだろうか。

                

ところが、経済的に売上の50倍の価値のある税金について、

ほとんどの日本企業は、リスク管理をしているとは言いがたい。

これでは、日本企業は、キャッシュフロー経営を徹底していないに等しい。

税金がカネ=キャッシュであることを忘れて経営をしているといえる。

                  

そのため、社内に税金=キャッシュのリスクを管理する専門家がいない。

税金のリスク管理には、私法及び税法に関する専門性が必要である。

ところが、税金を主管する経理部門には、私法及び税法の専門家はいない。

経理部門の外部顧問も、私法及び税法の専門家は不在に近い状況にある。

                  

日本では、税務の専門家に要求される素養が制度上分断されているからだ。

税務の専門家に要求される素養は次の4つあるが、法律上分断されている。

①租税法に関する法令に精通していること・・・税理士の領域

②税務実務に精通していること・・・税理士の領域

③契約等私法・国際法に精通していること・・・弁護士の領域

④証拠法に精通していること・・・弁護士の領域

           

税理士だけでも、弁護士だけでも、税務の専門家たりえないのである。

税理士は、契約法・証拠法に精通していない欠点がある。

弁護士は、租税法令・税務実務に精通していない欠点がある。

したがって、優秀な税理士と税務に通じた弁護士の協同が必要不可欠となる。

                

企業は、内部にも、外部にも、税理士と弁護士との連携を考えていない。

その根本原因は、税務を経営の重要な問題領域と考えていないからである。

どの企業でも、500億円の売上のために、営業部門を強化するだろう。

それに相当する役割を持つ経理部門に、それほどのヒトとカネを投入しない。

                     

経営者は、平時における、キャッシュの重要性に目覚めていない。

そのため、税金問題を重大なリスク管理の対象と気づいていない。

その影響で、経理部門も、法務部門も、税金のリスク管理をしていない。

つまり、重大なキャッシュである税金は企業内部の真空領域になっている。

               

経営者・経理部門・法務部門等執行側がリスク管理をしていないのを

モニタリングして、注意換気をし、内部統制を構築させるのが監査役である。

ところが、監査役は何も言わないが、これでいいのだろうか。

                

実体経済でも恐慌の恐れが出ているとき、キャッシュの重要性に気づく。

その機会に、キャッシュの社外流出リスクである税金問題を省みる必要がある。

経営者、経理・税務部門、法務部門、監査役の方々に気づいていただきたい。

「マネー、マネー、マネー」の記事を読んで、そう思った次第である。                        

                

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26年ぶりの安値・・・リスクをとらない者が勝つ

「日経平均 26年ぶり安値

終値7162円 銀行株が急落

円独歩高 企業業績に懸念」

         

これは、10月28日付日本経済新聞である。

日経平均株価が1982年10月7日以来の水準になったというのである。

同時に、株価がバブル崩壊時の最安値を簡単に更新したということでもある。

               

現在、株価は乱気流の中にあり、投資家が狼狽しているように見える。

永続可能性の高い優良企業の株価が清算価格を下回っている。

現に、トヨタ自動車、三菱商事、三井物産等のPBRが1倍以下である。

これは、経済合理性に反し、異常としか言いようがない。

                        

現在の株価は、経済の実態ばかりでなく、それと異なる諸事情によって形成される。

このような場合に、株式市場に素人が手を出すと火傷する可能性がある。

異常は時間の経過で正常に戻るものである。

これが自然の摂理であるから、この通りになるだろう。

              

そうだとすれば、異常が収まり、確実な状況になるまで、模様眺めをしておくことだ。

前回のバブルでも、その崩壊過程でリスクをとらなかった者が勝利者となった。

なぜなら、投資で高いリスクを取るのは、動きのある相場相手に投資をするからだ。

素人なのに、株価の乱高下に付き合うために、判断を誤り、大きな損失を被るのだ。

              

優良企業を選択して投資をするのであれば、著しく低いリスクで投資ができる。

現在のように異常なときは、優良企業の株価も予想外に低いものになる。

しかし、優良企業は異常な状態が去れば、通常の株価に戻る。

したがって、優良企業の低すぎる株価を選択すれば、リスクなく儲かる。

             

「儲」の意味については、かつて、鳥飼日記に書いたことがある。

「人」と「信」で構成されるから、「人」を「信者」にすれば「儲かる」と述べた。

これを今回に応用すればよいのである。

今回、「人」を「優良企業」「信頼できる経営者」に置き換えればよいのだ。

         

「優良企業」「信頼できる経営者」の「信者」になれば、「儲かる」のである。

信者は「誰か」や「何か」を信じるから、心に波風が立たず動揺がない。

株価の乱高下などに気をとられることなく、信じる優良企業の株式を保有すればいい。

そうすると、ある程度の期間を待ち、自然に株価は正常化し、大きな利益を得られる。

          

「慌てる乞食は貰いが少ない」と諺がある。

今の状況は、慌てないで落ち着いている者が勝つ時期である。

株式市場を見ていると、投資家にいかにプロが少ないかが見えてくる。

慌てて貰いが少ない方向で騒いでいるように思えるからである。

        

混乱の時に大事なのは、自然の摂理に立ち帰ることだ。

人間の事象は、自ずから自然の摂理どおりに動くようになっているからだ。

そうすると、現状を冷静に眺められ、将来の姿を適切に予見できる。

自然の摂理が、見えないはずの将来に導いてくれるからである。

             

これを見識というのである。

この見識があれば、それに従った迷いのない行動を起こすことができる。

これを胆識というのである。

この胆識があれば、将来に確実な成果をあげることができる。

        

この胆識こそ、リーダーに必要な第一の素質である。

株価の下落を見て、そのことが浮かんできた。

今回は、鳥飼日記を下敷きにして、一部追加訂正したものである。             

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経営者に賠償命令、経営者に意識改革を迫る判決

「アパマンショップ

経営者に賠償命令

株主訴訟で高裁(注:東京高裁) 

『株買い取り 高額」

          

これは、10月30日付日本経済新聞の見出しである。

アパマンショップホールディングスの役員の責任が認められた記事である。

同社が子会社を完全子会社化するときに、子会社株式の取得をした。

その際の株式買取価格が高すぎて同社に損害が生じた事案である。

             

記事によると、裁判所は、買取価格を決めた経営判断は違法だと判断した。

従来、裁判所は、経営者の経営判断の裁量の範囲を非常に広く捉えてきた。

これを支えてきた法律理論は、経営判断の原則という。

裁判所は、経営判断の原則を用いて上場企業の経営者を訴訟上救済した。

                    

ところが、平成18年ごろから裁判所の上場企業経営者を見る目が変わった。

平成18年の蛇の目ミシン工業事件の最高裁判決が基点になったように思う。

その流れから、今年、旧北海道拓殖銀行の旧経営陣に対し、最高裁判所は、

経営判断の原則の逸脱による敗訴判決を言い渡した。

                  

この最高裁判決は、従来の経営判断の原則を安易に適用して

上場企業の経営者を救済してきた従来の実務に見直しを迫ったのである。

裁判所は、資本市場における投資家・株主の保護を重視する姿勢に転換し、

上場企業に損害を与える経営判断の原則の適用の見直しをしたのである。

                    

つまり、裁判所は、株主に損害を与える上場企業の経営者の裁量の範囲を

合理性の観点からある程度狭いものとしたのである。

分かりやすく言えば、社会常識に合致した当たり前のことを、

上場企業の経営者に求めてきたのである。

                

本件判決は、この最高裁判決の考え方の流れに乗っているように思われる。

1万円の価値しかない株式を5万円で買い取るのは、1株4万円の損害を

親会社に与えるものであり、そのような経営判断は、社会常識に反する。

それを経営者の裁量というわけにはいかない、という発想である。 

                 

1万円の価値の株式を5万円で買取ったのには、それなりに理由はあった筈。

これは、親会社の経営者の立場に立った発想である。

ところが、株式を買い取った親会社の株主の立場を重視するとどうなるか。

1万円の価値の株式は1万円で買うべきであり、それを5万円で買取るのなら、

それなりのやむを得ない事情が必要だ、ということになるだろう。

             

本件では、このような事情は見当たらなかったようである。

この記事によれば、この点について、裁判所は次のように言っている。

「買い取り価格に合理的根拠はなく高すぎる」

1万円のものを5万円で買う事に株主が納得できる事情がないというのである。               

                  

親会社の経営者の立場なら、子会社の株主とかのしがらみがある場合もあり、

そのため、高い買い取り価格とする必要性があったのかもしれない。

このような経営者の立場よりも、裁判所は株主を尊重する立場に立っている。

ここから、経営者、企業法務は何を学ぶべきか。

              

今後、経営判断をする際には、株主の立場=社会の立場を忘れてはならない。

社会常識=社会では当たり前ことを考慮した判断が必要になる、ということだ。

従来の経営判断の原則という判例の要件の安易な当てはめは危険である。

経営者、自分を取り巻く環境から来るしがらみから解放される必要がある。

              

経営者は、会社を取り巻く共同体社会の論理よりも、会社の存在の基盤である

社会における論理である社会常識を常に意識した経営をすべきなのである。

「経営者よ、リーガルマインドを持て!」

本件記事における判決が教えているのは、この点である。

           

リーガルマインドとは、社会常識を伴った法的判断のことである。

換言すれば、経営者の判断には、社会の目を入れなさい、ということでもある。

この社会の目として期待されているのが、社外取締役である。

                

最近、機関投資家が社外取締役の導入を要求するのはそのためである。

そういう意味では、裁判所の立場は投資家の立場に近づいてきたのである。

社会性のある投資家の立場に立つことは、同時に、法的な問題でもあるのだ。

経営者は、社会の目を無視しがちだった従来の意識を変える必要がある。

             

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暴風雨圏の中では、経営者の想像力が重要だ

「パナソニック、三洋買収方針

電機大手の集約始動

世界経済減速の荒波

国内の過当競争、限界に」

           

これは、11月8日付日本経済新聞の見出しである。

金融危機を源として、現在、世界経済の減速の荒波が押し寄せている。

従来から言われてきた、高い収益を望めない多数の電機メーカーの過当競争も

見直しが必須の環境になった時に、パナソニックの三洋買収の発表があった。

                  

まさに、ジャストタイミングである。

これが、日本の大手電機メーカーの再編の引き金になる可能性がある。

現下の危機的状況に至るまで、このような再編が行われない日本の土壌は

グローバル化した経済環境に対する適応しておらず、経営上の課題がある。

                    

危機に至る前に企業の存続と成長のために再編等の施策をするのが、

本来的に言えば、経営手腕であり、経営力の筈だからである。

しかし、無視できない労働慣行があり、無理のない買収額を考えると、

株価が大き下落した現在の状況での買収は最高のタイミングである。

                      

このタイミングを選択したパナソニックの経営者の決断は賞賛されて良い。

大不況・恐慌の足音がある現状で、萎縮することなく、世界と未来を見据えた

積極的な経営判断をすることは、英断と呼ぶべきものである。

                     

大不況・恐慌は、企業の危機の問題であることは明らかであるが、同時に、

企業にとって企業の存在理由を問われる最高のチャンスの場面でもある。

こういう究極の場面こそ、経営者の真の資質が問われる。

リスク面ばかりに意識を向けるか、チャンス面に目を向けけるか。

                           

本来は、リスク面とチャンス面との両面への目配りが必要であるが、最終的に、

いずれの面を重視した経営戦略を立てるかが企業の未来を決めることになる。

現状は、未来は読めないからこそ、経営者の描く未来が決定的な意味を持つ。

                  

パナソニックの大坪社長は、世界に雄飛するパナソニックの未来を描いた。

その描いた絵の中に、三洋電機の電池部門があったのである。

大坪社長は競争に敗北した姿を描くことを拒否し、明るい未来を描いたのだ。

経営者に課された最大の役割は、明るい未来を生き生きと描くことだ。

                  

予想外のトヨタ自動車の70%超の減額修正の現実は受け入れる必要はある。

金融危機に端を発し、実体経済が暴風雨圏に入りつつあり、視界は不良だ。

だが、いつまでも暴風雨圏にいるわけではなく、いつしか、暴風雨圏を脱する。

そこに企業の未来がある以上、その未来を明るいものにする必要がある。

           

厳しい現実を受け入れる必要はあるが、その現実に捉われてはならない。

むしろ、その現実を乗り越えてこそ、明るい未来を築くことができる。

その現実を乗り越えるために、経営者は強い志と想像力を発揮すべきである。

明るい未来はあると確信して、それを想像し、自分はそれを実現すると志す。

                 

実は、企業の明るい未来の種は、既に、どのような企業でも持っている。

企業の明るい未来を約束するのものは、企業理念の中にあるからである。

企業理念は、企業の存在理由であり、そこには夢・志という未来の姿がある。

企業の存在理由である夢・志にしたがえば、企業に明るい未来が訪れる。

                  

大坪社長は企業理念を理解されているから、明るい未来を描けたのである。                                 

パナソニックの三洋買収に関する報道から、日本企業の経営者に前向きの

発想を強く持ってもらいたいと思った次第である。        

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時代は、幕藩体制から平成の明治維新体制に変わった

昨日、産業経理協会の経営財務法務研究会で講義をした。

この研究会は、私が主宰させていただいている役員向けの会である。

今回のテーマは、「内部統制時代における取締役の法的責任」である。

           

参考資料の1つは、「内部統制時代の役員責任」(商事法務の新刊)である。

著者は私と当事務所の青戸弁護士との共著である。

今回の研究会のテーマは、この本の出版記念のような内容である。

          

もう1つの参考資料は、90頁の小冊子である。

「新任取締役セミナー『内部統制時代における取締役の役割と責任』」

今年の7月23日に三菱UFJ信託銀行主催のセミナーの講義録である。

この小冊子は、前述の新刊本を要約した分かりやすい内容になっている。

                      

参考のため、レジメは、後ほど、ホームページの「掲載原稿」の欄に掲載する。

                      

今回の研究会で言いたかったことは、時代が変わったということである。

日本の法秩序の基本が変わり、一種の革命が起こっていることを述べた。

平成の明治維新になったから、幕藩体制の考え方は通用しない、のである。

官僚の裁量中心の幕藩体制が、法律重視の明治維新になったからである。

                     

幕藩体制では、官僚中心に業界・上場企業の経営者を守ってくれた。

幕藩体制では、官僚達は、庶民を犠牲に日本の産業を守ろうとしたからだ。

ところが、市場がグローバルになると、幕藩体制は維持できない。

グローバルな市場は、庶民を含む消費者・投資家等の保護を重視するからだ。

                

この消費者・投資家等を保護するためには、法律ルールが重視される。

平成の明治維新では、官僚という人ではなく、法が支配するのである。

公正で透明な法律の下で、本物の自由競争が消費者等を保護するからだ。

自由競争では、消費者・投資家等によって企業の勝負を決めることになる。

               

まさに、消費者等を含む社会が企業の盛衰を決める時代になるのである。

松下幸之助翁は、昭和49年、自由競争の本質を次のように述べている。

「より多くその社会的責任を果たすかの競争だ」と述べている。

(「企業の社会的責任とは何か?」59頁、PHP研究所)

                  

このように、平成の明治維新では、法律が重視されるようになる。

その法律の内容の方向性も、幕藩体制とは異なってくる。

幕藩体制は産業重視だったが、明治維新では消費者等の保護になる。

官僚主導の行政も、裁判所が行う司法も、消費者等の保護を重視する。

                 

その結果、企業に対する法的規律は従来と比較すると、非常に厳しくなる。

従来、経営者は、法律に関心を持たなくて良かった。

経営における法律の比重は低かったからである。

取締役の法的責任は、ほとんど無視できるぐらいのものだった。

             

そのため、現状の企業では、経営管理上、法的な側面が脆弱である。

社内の法務部門に高い地位は与えられず、要員も著しく少ない。

社外の弁護士を利用する程度も、たいしたことはない。

私の専門分野の1つが税法であるが、これを法律扱いしていない。

                     

従来はこれで通用していたが、今後は、通用しないことは明らかである。

幕藩体制で新しい時代を乗り切るのは困難である。

厳しい法律の適用がある以上、それに適応した体制の整備が必要だからだ。

これに適応しないと、役員とその家族に悲劇が訪れるだろう。

これが新しい平成の明治維新なのである。

              

この新しい平成の明治維新体制の兆候を最近の最高裁判例等で紹介した。

蛇の目ミシン工業事件、旧北海道拓殖銀行事件、ダスキン事件が典型例だ。

蛇の目ミシン工業事件では、583億円の賠償額は確定しているが、

会社はその賠償金の回収を株主代表訴訟の弁護団に依頼している。

従来の企業法務の常識では考えられない事態が生じているのである。

                  

これらの判例の流れからすれば、取締役会での経営判断に対して、

従来とは異なる法的規律が入ってきていることが明確に理解できる。

上場企業における経営判断が違法とされ取締役が法的責任を負うことはない、

というのは空想の世界になってしまったのである。

                     

新しい法律重視の秩序の下では、法律面を重視した経営者の意識の転換と

法律面を重視した社内組織を整備する必要がある。

現在行われている内部統制体制の構築は、その方向性を持つが、

その内実は、極めて不十分である。

               

これに警鐘を鳴らしたのが、前述の書籍「内部統制時代の役員責任」であり、

今回の経営財務法務研究会での講義であった。

幕藩体制から明治維新体制に変わったことを認識して欲しいからである。

                                                   

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未曾有のクレジットバブル崩壊

「未曾有のクレジットバブル崩壊」

これは、エコノミスト11月5日号の記事の見出しである。

この記事を書いたのはヘッジファンドについての第一人者といわれる方である。

昨年と今年、私が主宰する経営財務法務研究会で講演をしていただいた。

               

詳細なデータに基づいた予測をされるので、その予測は的確である。

実際、誰も指摘しなかった数年前に、CDSによる金融危機を警告していた。

現在も、クレジットバブルの崩壊で、1929年の大恐慌の再来を心配している。

                

最近、会った時に、渡されて説明の材料にされたデータがある。

「イングランド銀行の評価損推計値」である。

このデータによると、今回の危機はこれからが本番であることが分かる。

                

また、今回の危機の中心は、金融システムの問題ではなく、

実体経済の問題であることが理解できる。

それはなぜか、について説明する。

             

イングランド銀行の評価損推計値で突出しているのは、予想外であった。

サブプライム関連の住宅関連か、と思ったがそうではなかった。

突出している評価損を出しているのは、なんと企業関連の評価損である。

実体経済の悪化による評価損失が今回の危機の中核になっているのだ。

              

そのことを数字で示すと、つぎのようになる。

                  4月(億ドル)    半年後(億ドル)   倍率

サブプライムの関連      6、244        7、887     1.3倍 

企業関連            6、647       20、108     3.0倍

             

上記の数字は、企業関連の評価損失の大きさとその伸び率の高さを示す。

しかも、企業関連の評価損失の中で突出しているのが、投資適格社債である。

すなわち、米英欧の評価損失の56%が投資適格社債なのである。

この点に関連して、この記事は次のように述べている。

          

「1929年の大恐慌ではまず社債のリスクプレミアムが上昇し、

それを追いかける格好で企業の倒産確率が大きく上昇した。

社債のリスクプレミアムは、すでに投資適格社債も投機的社債も

大恐慌時代の水準以上に上昇している。」

           

続けて、つぎのような指摘をしている。

「企業の倒産確率がここから大幅に上昇すれば、

いよいよクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)危機に火がつく。」

               

そのことから、見出しが「未曾有のクレジットバブル崩壊」になったようだ。

この記事の結論は、衝撃的であるが、紹介に値すると思われる。

           

「今回の危機の根底にあるのは、金融システムの問題ではなく、

実体経済の構造問題、つまり、米一局集中の世界経済が多極化する

という100年に一度のパラダイムシフトだ。

未曾有のクレジットバブルの崩壊による実体経済の危機は

これからが本番を迎える。」

               

これ以上、言葉を重ねる必要はないだろう。

金融危機が消費等を減退させ、企業収益を悪化させた。

今後は、企業の収益悪化が金融機関の経営に脅かしている。

つまり、景気減退の悪循環が始まったのである。

              

そうであれば、本格的に景気が後退するのは来年度以降となるのだろう。

上記悪循環の進展状態の程度が大恐慌となるかどうかを決定することになる。             

上記の記事の筆者は、ブルームバーグの記者に対し、次のように話している。

「利下げ余地も、財政余地も乏しい今後の方が厳しい」と。

                

法律家である私には、経済のことは分からない。

ただ、経営法務を専門としている者として、経営に著しい影響を与える

経済の推移を予測することは極めて重要である。

それによって、経営法務の方向性を決める必要があるからである。

今後も、経済の推移とそれによる経営への影響を見守りたいと思う。

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我々(弁護士)が輸出されそう

「弁護士を『輸出』せよ ・・・・・・・・・

グローバリゼーションの海に漕ぎ出す企業を、試練が襲う。

いかに『法武装力』を磨くか。

弁護士という参謀役や、その集合体である法律事務所をどう選ぶか。

それが企業の命運を分ける。」

          

これは、[朝日新聞グローブ第4号]の見出しである。

我々弁護士が輸出品扱いにされるなど、物騒で刺激的な言葉が並んでいる。

この記事は、従来の弁護士の枠を超えた活躍を取材している。

その活躍は、米国型の弁護士をイメージさせるものである。

                

「日本企業の競争力を高めるためにも、

質の高い弁護士を数多く生み出すための基盤整備は

待ったなしの課題になってきた。」

これも見出しの一部であるが、指摘することは正しいと思う。

               

この記事では、多様な弁護士の例を取り上げて、その活躍を紹介している。

同業者の活躍を紹介してもえらることは、とても嬉しいことである。

記事は、グローバル化という視点を中心に構成しているが、日本の現状では、

グローバル的に活躍できる専門の弁護士に大きな需要があるのは確かだ。

同時に、今後は、企業の競争力強化に弁護士が必要となることも首肯できる。

                               

私の専門の税務訴訟は、本来、日本の課税権の問題だから、国内的要素が

圧倒的でも良いはずであるが、実際は、国際課税問題の比重が高い。

税務問題も、グローバル化の方向性を持っているのである。

こうなると、税務問題も、専門の弁護士の需要が増加することになる。

                 

日本はグローバル化の影響で、市場重視のルール社会の入り口に立った。

今後は、入り口から中へ入らなければならない。

その中で、企業は法律を中心としてルールに習熟している必要がある。

この記事が指摘するように、参謀として、弁護士が必須になるのである。

              

弁護士の方でも、良い参謀になるには、従来の「待ち」の意識では不十分だ。

依頼者の問題を指摘し、その解決提案が求められることもあるからだ。

             

刺激的な記事であるが、時代の流れからすれば、的は外していない。

だからといって、記事の刺激に慌てることはない。

現在が革命期とはいえ、法律状態がすべて変わるわけではないからである。

時代の変わる方向を見定め、変化に適応する時間はまだ十分にある。

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100億円の税金問題は、6000億円の売上に相当する

ビジネス法務2009年1月号に特集がある。

「重要ビジネス判例2008」という特集である。

その中に、次のテーマの私の原稿がある。

        

「高まる対・課税庁の戦略法務の重要性

企業の利益を守る『税法務』 日本ガイダント事件」

実に長い表題がついたものである。

               

この原稿については、12月21日以降、当事務所のホームページの

「掲載原稿」の欄の「その他」に掲載する予定である。

               

この原稿で言いたかった点は、いくつかある。

箇条書きにすると、主として次のようになる。

1 税金問題は、経営戦略の問題であること

2 税金問題は、重要なリスク管理として内部統制が必要なこと

3 税金問題には、社内にも、社外にも、専門家が必要になること

          

まず、1の税金問題が経営戦略の問題であることから説明する。

これは、金額に換算すると、容易に理解できることである。

10億円の税金は、売上高に換算するとどのぐらいの金額になるかである。

          

東芝の08年3月期の連結売上高純利益率は、1.67%である。

これを使うと、10億円の税金は、約600億円の売上高に相当する。

リスク管理を怠り、納税不要の税金を10億円払うことは、

600億円の売上高を失うことに等しいのである。

             

このことの意味を、経営者はどれだけ理解しているのだろうか。

600億円の売り上げのために、どれだけのコストをかけているのか。

それに等しいはずの税金のリスクにどれだけのコストをかけるのが適切か。

これは、経営者にとっての経営戦略の対象ではないのか。

               

この問題意識からすれば、税金にリスク管理が必要であることが自明である。

特に最近の課税庁は、厳しい姿勢で課税処分を行うようになっている。

しかも、大企業に対し、巨額の課税処分をする傾向が出てきている。

前述の例だと、100億円の課税であれば、6000億円の売上高の問題に等しい。

したがって、税金のリスクに対して、内部統制が必要となるのは必定である。

              

この点が2の問題意識となっている。

このように経営に関して、インパクトの強い税金をリスク管理をしない場合には、

税務リスクが顕在化した場合に内部統制システム構築義務違反の恐れがある。

つまり、税務リスクの重大性が認識されると法的責任問題となりうるのである。

             

ところが、税務リスクに関する内部統制をすることが困難な事情がある。

税務リスクの内部統制をするために必要な社内人材がいないことである。

経営者の税務の重要性を理解せず、税務の専門家を育成しなかったからだ。

しかも、経営の需要がないため、社外にも、本当の税務専門家が育っていない。

                

これでは内部統制を構築することはできない。

ある意味では、日本企業では、税金関して内部統制を構築できないこと、

そのこと自体に企業における税金問題の根深さが凝縮しているともいえる。

              

税金は、税法という法律領域であるから、法律の専門家が必要不可欠である。

ところが、税法を法律の専門家である弁護士の領域だという認識が乏しい。

そのため、税務を専門としている弁護士は、希少価値がある存在となっている。

これは、企業にとっても、弁護士にとっても不幸と言うしかない。

               

日本では、税務リスクを管理するには、税理士と弁護士の協同が必要だ。

税務に精通した税理士と税法に詳しい弁護士なしにリスク管理はできない。

この自覚の下、社内人材を育成し、社外人材の協力を得る体制を築くべきだ。

           

詳細は、ビジネス法務の特集記事を読んでいただきたい。

明日の午後、産業経理協会で税務リスク管理に関するセミナーを行う。

そのセミナー後、その際使ったレジメをホームページで公開する予定である。                      

                          

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